プリンスホテル1年目のキャンプで脱走 失意の橋本武広を救ったのは「ふたりの石井」だった (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「食事に連れて行ってもらったり、西武球場でプリンス対農大の試合をさせてもらったり。ただ、僕のなかで当時、社会人と言えば、日産とか東芝とか、熊谷組、東京ガスで、プリンスはまったくイメージしていなくて。しかも、まだ、青森に帰りたいと思う自分もいて、社会人であれば東北のチームに......ということも考えていたんですね」

【指揮官の殺し文句でプリンス入り】

 そんな橋本の気持ちを見越してか、ある日の食事には石山が声をかけている大学生たちが顔を揃えた。投手の石井丈裕(法政大/元西武)、内野手の石井浩郎(早稲田大/元近鉄ほか)、後藤良則(九州産業大)、戸栗和秀(駒澤大)、外野手の高木慎一(法政大)。結局、全員が入社するのだが、橋本自身、何が決め手になったのか。

「石山さんに『都市対抗優勝の時に胴上げ投手やれよ』って言われたんです。『ほおっ!』と思って。これは後々わかったんですが、そういうことを言う人なんです。いろんな選手に、いい殺し文句を言ってるんですよ。それで僕は実際、胴上げ投手にしてもらったのが本当に不思議なんですが、最初のキャンプではいなくなったんです」

 まさに、89年の都市対抗、プリンスホテルが初優勝した時の胴上げ投手は橋本だった。石山の数々の「予言」のなかでも、これほどピンポイントなものはないと思われるが、しかし問題はその2年前の"脱走事件"だ。連絡がついた時、石山にはどう釈明したのか。

「『すごいレベルが高くて、プロみたいなチームで、サインも多いですし、スピードについていけません』って言ったはずです。でも、それは言い訳ですよね。何か理由つけて辞めようとして。実際には練習が厳しかったのもあるし、最初は誰もあんまり話してくれなかったのもあるし。ここでやっていく自信がないな......と思った時に、ちょうど卒業式があって」

 チーム内では「そんなヤツは辞めさせろ」という声が出ていたが、そういうわけにはいかないと、石山は説得を試みた。監督として、スカウトした者として、当然のことだった。加えて、石山の前に同級生が声をかけていた。まだ携帯電話がない時代、石井浩郎、石井丈裕とは連絡を取り合っていた。

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