篠塚和典が振り返る、江川卓が引退を決意した一球「小早川毅彦にホームランを打たれなければ...。現役を続けてほしかった」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【松坂とも「まったくモノが違う」真っ直ぐ】

――江川さんの高校時代は驚異的な記録が目白押しです。代表的なものでいうと、3年の夏の栃木大会では5試合(44イニング)に登板して被安打が2で75奪三振。5試合とも完封で、そのうち3試合がノーヒットノーラン。1973年のセンバツでマークした1大会での最多奪三振記録(60個)は今も破られていません。

篠塚 「何かの間違いじゃないの?」と思ってしまうくらいの成績ですよね。桑田真澄(元巨人など)や松坂大輔(元西武、レッドソックスなど)、ダルビッシュ有(現パドレス)、田中将大(現楽天)、大谷翔平(現エンゼルス)とか、いろいろなピッチャーが甲子園やプロで活躍してきていますが、高校時代の江川さんの成績は圧倒的ですし、プロ9年間で135勝(72敗)というのもすごいです。

――"平成の怪物"と呼ばれた松坂さんが横浜高校で春夏連覇し、夏の決勝で史上2人目となるノーヒットノーランを達成した時も、「高校野球にひとりだけプロ野球選手が混ざっている」と評されることがありましたね。

篠塚 確かに、松坂も高校生離れした球のキレと強さがありましたが、江川さんの真っ直ぐはまったくモノが違うと思います。「バットに当てることすらできない」と言われていたわけですから。

 それと、松坂の場合は球種が多く、真っ直ぐを待たせておいてスライダーなどの変化球で三振を取ったりしていましたが、江川さんは真っ直ぐとカーブだけ。2つの球種であれだけの成績を残すのは尋常ではありません。

――仮に江川さんが巨人ではなく別のセ・リーグのチームにいたら、篠塚さんの通算成績にも影響を与えていたと思いますか?

篠塚 相手チームにいたとしたら、それはそれで打つための研究や技術の追求をしていたとは思います。でも、江川さんが味方でよかった、対戦せずに済んでよかったとはハッキリ言えますよ(笑)。

【プロフィール】

篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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