篠塚和典が振り返る、江川卓が引退を決意した一球「小早川毅彦にホームランを打たれなければ...。現役を続けてほしかった」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【篠塚から見た江川の引退】

――江川さんの現役生活はわずか9年で、引退した時は32歳でした。晩年は右肩の故障で苦しみながらも、最後のシーズンとなった1987年には13勝を挙げています。江川さんの引退をどう思われましたか?

篠塚 正直、やめるとは思いませんでしたね。でも、その何年か前から肩を痛めたり、体の不調も多少あったので。やっぱり球の速いピッチャーは肘や肩への負担が大きくて、早く消耗してしまうのかなと。それと、高校からストレートでプロ入りすればもう少し長くできたかもしれませんが、江川さんの場合、法政大学やアメリカの南カルフォルニア大学への野球留学も経てプロ入りしましたしね。

 やめる、やめないは本人が決めることで、そこに至った理由は他人にはわからないこと。本人にしかわからない苦しみがあったでしょうし、もがいて、考え抜いた上で限界を感じて決めたことだと思います。「こればっかりは仕方がない」という思いでした。

――それでも、現役をもう少し続けてほしかった、という思いはありますか?

篠塚 続けてほしかったですよ。ただ、高校時代から酷使してきた肩の状態が相当よくなかったのかなと。あと、広島戦で小早川毅彦にホームランを打たれたこと(1987年9月20日の広島戦で小早川に2本のホームランを打たれた)が引退を決断する引き金になったと言われていますが......2本目を打たれた真っ直ぐは、江川さん本人はある程度自信を持って投げた球だったはずです。

 それを打たれてしまったということで、自分の球に関して何かを感じたんでしょうね。「自分の球はもう死んでしまったんだ」という感じだったんじゃないかと。感情的な面を考えれば、小早川にあのホームランを打たれていなければ、たぶん現役をもう少し続けていたと思いますよ。

――中学生時代に初めて見た江川さんのピッチングに衝撃を受け、その後、巨人のチームメイトとして共闘された江川さんは、篠塚さんにとってどういう存在でしたか?

篠塚 高校時代、対戦相手として「江川さんの真っ直ぐをうまく打つためにどうすればいいか」と考えたところから、自分のバッティングスタイルの模索が始まったので、江川さんは「自分のバッティングを作ってくれたピッチャー」と言えます。"昭和の怪物"と呼ばれるピッチャーはたくさんいたかもしれませんが、江川さんは間違いなくその代表格ですし、そう呼ばれるに相応しい成績を高校時代から残しています。

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