梨田昌孝が語る西本幸雄の「闘将伝説」 背が高い選手には「ジャンプしながらビンタしていた」 (3ページ目)
【闘将が見せた優しさと信頼】
――西本監督とのエピソードで、特に印象的だったことは?
梨田 西京極球場(現わかさスタジアム京都)で近鉄と阪急が試合をした時ですかね。私が三塁側のベンチの方角に飛んだキャッチャーフライを猛スピードで追いかけたんです。当時は今と違ってバットケースがグラウンド側に飛び出していたのですが、そこに私がぶつかりそうになった時に、西本さんが私とバットケースの間に体を入れてクッション代わりになろうとしてくれたんです。
私は上を向いていたので、最初は何がどうなったのかわからなかったのですが、気づいたら西本さんが目の前にいて......。その時は体がちょっと触れたくらいでしたが、すごく嬉しかったですね。
――お互いにケガはなかったんですか?
梨田 私はものすごいスピードで追いかけていましたし、もしぶつかっていたら西本さんも肋骨などが折れていたかもしれません。でも、西本さんは怪我をされませんでしたし、自分も無事でした。直後に西本さんの顔を見たら照れていたような感じで、私は「ありがとうございます」とお礼を言ったんじゃないかと記憶しています。
――他に覚えていることはありますか?
梨田 配球やキャッチング、スローイングなど、キャッチャーはやることがいっぱいあるので、いつも怒られてばかりでしたよ。ただ、今でも鮮明に覚えているのが、日生球場のブルペンで井本隆さんと太田幸司さんが投げていた時、西本さんが私のところに来たことです。
それで「おい、ナシ! ピッチャー代えよう(と)思うんやけど」と言われたので、私が「どちらでいかれますか?」と聞いたら、西本さんが「どっちがいいかな?」と相談してくれて。それで「井本さんだったらいいと思いますが、太田さんだったら無理です」と答えました。そういうことを私に聞いてくれたということは、ある程度信頼をしてもらえるようになったのかなと。
――梨田さんがまだ若かった頃ですか?
梨田 20代半ばぐらいだったと思います。先ほどお話しした西京極球場の件も同じ時期でしたかね。やはり、さんざん怒られていた西本さんから少しでも信頼してもらえるのは嬉しいんです。今振り返ると、本当に信頼していたというよりは、「こいつはどんな考え方をしているのかな」と、試している時期だったんだと思います。
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