梨田昌孝が語る西本幸雄の「闘将伝説」 背が高い選手には「ジャンプしながらビンタしていた」 (2ページ目)
【ジャンプをしながらのビンタも】
――西本監督は選手と積極的にコミュニケーションをとるタイプでしたか?
梨田 野球に関してはそうでしたね。ただ、基本的に話すことは大嫌いでした。パーティーなどでトークを頼まれると、「喋らなきゃいけないなら出ない」と言って実際に出席しなかったり。とにかく、人前で話すことをすごく嫌がっていました。
それと、私と羽田は期待をかけてもらっていたという話をしましたが、その分よく"鉄拳制裁"もありました。だけど、それは憎いからではなく、「なんとかお前らを一人前にして、飯を食わせてやりたい」という愛情を感じました。
現在では大きな問題になるでしょうし、当時もすごく嫌だった選手もいると思います。ただ、私の場合は中学生の時に親父が亡くなっていて、西本さんが親父と同世代だったこともあり、その代わりじゃないですけど、どこか嬉しかった。人に手を上げるというのはエネルギーが必要ですし、痛みを感じながらも「自分は悪いことをしたんだな」と思っていました。
――どんな時に鉄拳制裁があったんでしょうか。
梨田 新人選手たちとインターバル走をしている時にもありましたね。新人選手は首脳陣にいいところを見せたいし、張り切るじゃないですか。それでどんどんスピードを上げていったのですが、もう新人ではなかった私たちは自分のペースをキープしながら走っていたんです。そうしたら西本さんから、「もっとスピードを上げろ!」と。
それでも私たちは、3周ぐらい同じペースで走ったんですが、西本さんはカンカンですよ。「お前らこっちに来い!」と私を含む8人くらいの選手が呼ばれ、片っ端からビンタされました。西本さんは左利きなのですが、左、右、左、右と交互に打っていって......。
利き手じゃない右手は力が弱いのですが、コントロールも悪いんです(笑)。身長が193cmあったジャンボ仲根(仲根正広)にビンタする時なんかは、手が顔に届かないのでジャンプしながらビンタしてましたね。それを周りの選手も見ていたわけですが......とにかく迫力がありました。
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