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ブーマーと松永浩美が「私が走るとわざとファウルを打つ」と言い争い 上田利治は監督室に呼び出し「2人で打順を決めろ!」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

――上田利治監督(当時)はどう対応したんですか?

松永 ブーマーとベンチで言い合いをしている時、上田監督に「監督室に来い」と呼ばれて、「2人で打順を決めろ」と。そうしたらブーマーが、すぐに手を上げて「俺は3番」と言うもんだから、上田監督が「じゃあマツは4番な」って。私は「自分は4番タイプじゃないです」と反対しました。

――実際はどうなったんですか?

松永 その通りになりました。ブーマーが3番を打つ時は私が4番。ブーマーが4番を打つ時は私が5番。とにかく、ブーマーの後ろを打つことになったんです。ただ、相手チームからしたら、そのほうが嫌だったみたいですが。

 それは現役引退後に、対戦したことがある何人かのピッチャーから聞いたことですけどね。ブーマーの後ろを打つバッターの力が落ちるようであれば、ブーマーとの対戦を避けることもできますが、そこに私がいると歩かせるわけにもいかないと。

 あと、直接聞いたわけではありませんが、ある相手チームのピッチングコーチは「ブーマーが三冠王を取れたのは、マツが後ろにいたからだよ。マツが後ろにいなかったらブーマーは歩かされているから」と言っていたようです。本人たちの気持ちなどとは関係なく、打順が変わると相手の受け取り方がこうも変わるのか、というのは面白いですね。

――ちなみに、ブーマーさんは近鉄にいたサイドスローの柳田豊投手を苦手としており、右打席ではなく左打席に入ったことがありましたね。その瞬間は何を思いましたか?

松永 あまりにも柳田さんを打てていませんでしたからね。「どっちみち右でも打てないんだから、左に立とうか」ってとこだったんじゃないかと。たぶん三振したんじゃないかな。でも、その1度だけですし、気分転換がしたかったんだと思います。

――打順の件でいろいろ言い合ったようですが、バッティング論などの話もしましたか?

松永 多くのシーズンで、開幕してから4、5月くらいまでは私とブーマーがリーグの打率ランキング上位を争っていることが多かったんです。だから「今日は打ったね」とか、「明日も俺は打つよ」などと声を掛け合っていました。
 
 ブーマーの調子が上がらない時には、「どうしたの? 眠っているのか?」「もう少ししたら打つよ!」というやりとりがあったり。それで私が「打ってから言え! 打ってない時に何を言っても寝言と一緒だ!」なんて追い討ちをかけたり(笑)。いい刺激になっていましたし、切磋琢磨できるいい関係でしたね。

(後編:間近で見た門田博光のハイタッチ脱臼の瞬間 ブーマーは「えっ!?」と驚き「そんなに力は入れていなかった」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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