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盗塁王二度の緒方耕一が30歳の若さで引退も「そこで辞めたのは正解だった」と思うワケ (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【完全燃焼ではないけど、悔いはない】

── その後は相次ぐ故障もあって、試合出場も減っていきます。どんな心境で、この間は試合に臨んでいたんですか?

緒方 この頃は足首を手術したり、腰痛が再発したりして、思うようなプレーはできませんでした。自分自身の問題なので、相手チームやチームメイトとの戦いではなく、自分との戦いが続いていました。97年のオフに、球団代表に「辞めさせてください」と言ったんですけど、「長嶋監督がダメだと言っている」という理由で、98年も現役を続けることにしました。それでも、やっぱりダメでしたね。

── そして、98年オフに30歳という若さで現役を引退します。

緒方 前年に球団代表に先に伝えたので、この年はまず長嶋監督に伝えました。それでOKをもらってから球団に伝えて引退を決めました。長く続けるに越したことはないけど、自分で決めたことなので悔いはないですね。

── 「完全燃焼した」と言えますか?

緒方 いや、さすがに「完全燃焼だ」とは言えないですね。せめて、35〜36歳までは続けたかったですから。でも、腰が痛くて満足に動けないのに、それでもダラダラ現役を続けるのはやっぱり無責任ですし、やっぱり、このタイミングで辞めたのは正解だったと思います。

── ドラフト当日に「指名はないだろう」という思いで自動車教習所に行っていた若者が、盗塁王も2回獲得し、ジャイアンツのレギュラーとして活躍しました。12年間のプロ生活を、ご自分ではどのように振り返りますか?

緒方 自分自身で「よくよったな」という思いはないです。でも常に、「今できることを全力でやろう」という思いでやってきたことが、のちにコーチとしてユニフォームを着ることができた理由だと思います。30歳で辞めたのに、ジャイアンツ、日本ハム、そしてヤクルトと3球団でコーチをやらせてもらった。WBCでもコーチを任された。だから、短かったけれど、一生懸命やったことが今につながっているんだなと思います。あとは運です。

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