辻発彦が明かす87年日本シリーズ「伝説の走塁」の真相「巨人の失敗はランナーに背を向けたことだった」 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── マウンドにいた工藤公康投手は「日本一のガッツポーズまで考えていたのに、左打者の篠塚さんにキヨが守る一塁へ打たせられなくなって大変だった(結果はセンターフライ)」とのちに語っておられました。

 巨人との因縁が一瞬にしてよみがえってきたのでしょう。私も日本一が目前で、うれしくて感極まっていましたが、巨人に勝ちたいという気持ちを一番強く持っていたのがキヨだったんでしょう。ただ、試合はまだ終わっていない。だから「大丈夫か。ちゃんとボールは見えるか? 泣くなら試合が終わってから泣け」と。キヨは「泣きながら大丈夫です」って言っていましたね(笑)。

── あのシリーズ、石毛宏典選手と工藤投手のかけ合い漫才的なお立ち台のヒーローインタビューも話題になりました。あれを見て感じたのは、チームの雰囲気がすごくいいなということでした。

 もう本当に最高でしたよ。83年の巨人との日本シリーズは、石毛さんや工藤がいたとはいえ、田淵幸一さん、山崎裕之さん、片平晋作さん、大田卓司さんらベテランが中心でした。しかし、87年は若手中心の"新生・ライオンズ"で巨人を倒しましたから。そういう意味ではもう本当に「オレたちは強いな」と。野手陣は投手陣を12球団ナンバーワンだと思っていましたし、投手陣も野手陣のことをすごく信頼してくれていた。一人ひとりがやるべきことをわかっていたし、自分たちに対しても相手に対しても厳しかった。そうした力が集結して、より強固になっていったチームでしたね。

── 今でこそパ・リーグの人気は高いですが、当時はセ・リーグ全盛でしたからね。

 当時は毎晩のように巨人戦の地上波中継があったのに、パ・リーグはほとんどありませんでした。パ・リーグの主力たちは、セ・リーグに対するコンプレックスやハングリーな思いを胸に抱いてプレーしていました。

中編:巨人相手に衝撃の4タテ 辻発彦が語る西武黄金期の強さのワケはこちら>>

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