辻発彦が明かす87年日本シリーズ「伝説の走塁」の真相「巨人の失敗はランナーに背を向けたことだった」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── 巨人との日本シリーズ前、ミーティングはどのような内容だったのですか。

 ミーティングはいろいろ分析しました。実際、試合をやっていて実感したことですが、当時の巨人は足を絡めた攻撃の怖さはあまりなかったです。だから、守っていてプレッシャーは感じませんでした。

── ただ巨人は3割打者が5人。対する西武はシーズン66完投と、「打の巨人」対「投の西武」という構図だったと思います。

 87年は、チーム打率はリーグ6位でしたが、チーム防御率は1位。東尾修さん15勝、工藤公康15勝、郭泰源13勝、松沼博久さん8勝。とにかく強力な投手陣でした。日本シリーズは短期決戦ですから、ラッキーボーイ的な選手が必ず出てくるものですが、打つのはなかなか難しい。戦い方としては、しっかり守って、少ないチャンスで足を絡めてモノにするという展開を描いていました。それで一番研究したのが、巨人の投手陣です。

── 巨人は打のチームでしたが、桑田真澄15勝、江川卓13勝、槙原寛己10勝、西本聖8勝と、先発の頭数は揃っていました。

 江川さんはストレートとカーブ、西本さんはシュート、桑田は抜群のコントロールを持っているというのは、あらかじめ分析していました。あとセンターを守るクロマティの守備に関しては、しっかりミーティングをしました。とにかく肩は強くない。それに守備の動きも緩慢だということで、「二塁走者なら必ず本塁にいける。一塁走者はセンター前ヒットでも三塁に行くチャンスがある」と。

【見逃さなかった巨人の緩慢プレー】

── 西武の3勝2敗で迎えた第6戦、2回にブコビッチが打ったセンター後方への飛球で、二塁走者の清原和博が生還しています。クロマティはよく捕りましたが、返球が高く逸れました。

 三塁コーチの伊原(春樹)さんは狙っていたんでしょうね。二塁走者はタッチアップしてもふつうは三塁までしか進みませんが、それを伊原コーチは腕を回した。もしキヨ(清原)がそのまま本塁に向かっていたらアウトだったと思います。だから、キヨは一瞬止まりました。クロマティから中継に入ったショートの・鴻野淳基選手への返球が悪送球となり、バックアップに入ったセカンドの篠塚利夫(現・和典)選手が三塁に投げた。「清原が三塁ベースに戻ってくるだろう」と思い込んでいたサードの原辰徳選手は左回りでタッチにいった。そうしたらキヨは本塁に突入していたんです。

 そういうところが巨人の守備の間違いでしたね。走者に背を向けてはいけないんです。カットマンは、捕ったら必ず走者を確認しないといけない。あの時だったら、原選手は捕ったら右方向に振り向けば、本塁に突入したキヨが視界に入ったはず。すぐ本塁に送球していたらアウトになったと思うんです。

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