辻発彦が明かす87年日本シリーズ「伝説の走塁」の真相「巨人の失敗はランナーに背を向けたことだった」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── そして西武の2対1で迎えた8回裏、二死から辻さんが安打で出塁し、つづく秋山幸二選手のセンター前ヒットをクロマティの緩慢な守備、山なりの返球の隙を突いて一気に生還。

 二死走者一塁で、当時の私は(いつでも走ってもいい)という"グリーンライト"のサインが出ていました。ただ、リードは1点ですし、無理して走るよりも秋山の長打に期待しようというシチュエーションでした。打球はセンター前でも、やや左中間寄り。「クロマティは左投げだし、100%三塁にはいけるな」と、全力で二塁ベースを蹴ったんです。そして伊原コーチを見たらアクションが大きく感じて、目を見開いているじゃないですか。

 クロマティがジャッグルしたのか、悪送球になったのかわからない。ただ「本塁にいくぞ!」という雰囲気を察知したのです。本当にまったくスピードが落ちることなく、本塁までいくことができました。私の走塁の時もそうでしたが、センターからの返球をショートの川相昌弘選手が捕った。三塁を回った私のほうに目線をやって、すぐにバックホームしたらアウトになっているんですよ。それを「三塁走者は止まっているだろう。それよりも打者走者の秋山を二塁に進塁させまい」と二塁ベース方向に回転したがゆえに、バックホームが遅れたということです。
 
── 辻さんは本塁に滑り込み、ガッツポーズをして歓喜のジャンプ。山倉和博捕手は「ああ......」という落胆の表情でした。

 8回裏で3対1。「これで勝てた。日本一だ!」と確信した喜びだったと思います。

【清原和博の涙】

── 9回表二死、日本一まであとひとりになった時、涙を流す清原選手に辻さんが歩み寄り、肩を抱いて激励していました。85年のドラフトで、清原選手は熱望していた巨人から指名されませんでした。各選手が野球にかける「熱いドラマ」を感じました。それにしても、辻さんはよく清原選手が泣いているのに気づきましたね。

 最初に気づいたのは一塁塁審の寺本勇さんです。一塁ベース後方に位置していた寺本さんが、キヨ(清原)の「異変」に気づいて近寄って顔をのぞき込んでいたんです。だから私がタイムをかけてキヨに駆け寄りました。

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