江藤慎一は犠牲フライの監督指示を無視。見逃し三振で堂々とベンチに戻ってきた (3ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
  • photo by 共同

 稲川は中日を放出されて以降、結果を出しながらも転々と移籍を繰り返す江藤をこう見ていた。

「とにかく慎ちゃんは豪傑で繊細。弱い者の味方だった。後輩や裏方さんは庇うけど、納得しないと偉い人にも忖度しなかった。だから上の人には誤解を生んだかもしれないな」

 10月12日、中日球場(当時)中日対大洋のダブルヘッダー。中日は江藤が移籍してから4年、ここで2連勝すれば巨人の10連覇を阻止し、20年ぶりのリーグ優勝が決まるという試合を迎えていた。

 圧倒的にホームの中日が有利とはいえ、選手たちは前日に神宮球場でヤクルトとのナイトゲームを行なっており、移動日なしのデーゲームを含めてのダブルである。当然、緊張もある。ここで一試合でも負け、もしくは引き分ければ、優勝決定は後楽園での巨人戦の結果に持ち越される。そこまでいけば、経験のなさからも圧倒的に不利であることはわかっていた。

 必ず、この2試合で連勝しなければならない。一塁側ベンチにいる青いユニフォームの選手たちは、この時、大きなプレッシャーを実は感じていたことを、井手峻(現東京大学野球部監督)は証言している。

「疲労困憊していましたし、かなり硬くなっていましたね。もしも先制点をとられたら、流れは変わっていたでしょう」

 そこに江藤が三塁側からふらりとやって来た。高木守道がいた。星野仙一がいた。大島康徳がいた。木俣達彦がいた。そして弟の省三がいた。かつての後輩たちに向かって言った。

「お前ら、今日は大丈夫だから。頑張れよ。今日は大丈夫だからな。任しとけ」

 かつてのチームリーダーの言葉に緊張が一気にほぐれた。

「江藤さんに大丈夫と言われたことで、自信が湧いてきたんですね。私もこれで優勝できると思いました」(井手)

 試合は2連勝で中日は20年ぶりのリーグ優勝を決めた。

 一方、江藤は2割9分1厘、ホームラン16本の記録を残しながら、またしてもチームを追われることとなった。稲川は、シーズン終了後に投手交代についての質問をさかんに江藤がしてくることに驚いていた。

「バッターなのに何でピッチャーのことを聞きたがるんだろう? 投手心理の勉強なんだろうか」

 訝しがっているとチームが江藤のリリースを発表した。太平洋クラブライオンズに監督兼任、プレーイングマネージャーとしての移籍が決まったのである。新任の秋山登監督から、ケガを持った起用のしづらいベテランという評価を受けたためと言われている。

(つづく)

プロフィール

  • 木村元彦

    木村元彦 (きむら・ゆきひこ)

    ジャーナリスト。ノンフィクションライター。愛知県出身。アジア、東欧などの民族問題を中心に取材・執筆活動を展開。『オシムの言葉』(集英社)は2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞し、40万部のベストセラーになった。ほかに『争うは本意ならねど』(集英社)、『徳は孤ならず』(小学館)など著書多数。ランコ・ポポヴィッチの半生を描いた『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)が2023年1月26日に刊行された。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る