敵チームの落合博満と松永浩美が秋田の屋台で語り合い。「どこが苦手?」の質問から一流の打撃論が始まった (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【落合が実戦形式でオススメした練習】

――他にはどんな話をしたんですか?

松永 よく、バッターは「ピッチャーの失投をいかに仕留めるかが大事」と言われることもありますが、落合さんは逆に「ピッチャーの得意なボールを打って自信をなくさせる」ことを考えていたようです。それも同じ考えでした。失投の場合はピッチャーが「甘いボールだったから仕方がない」と開き直れる。一方で得意な球を仕留めれば、「あれを打たれたか......投げるボールがないな」と、ピッチャーを精神的に追い込むことができますからね。

 その後に、打つ時にボールのどこを見ているのかと聞かれたので、「若い頃から、ボールの上、下、外などいろいろ見ています」と答えたら、「そこにスピンを加える?」と。私が「スピンはあまり考えたことないです」と言うと「じゃあ今度、実際に打って見せてあげるよ」となりました。

 後日、落合さんが阪急戦で西宮球場に来た時、練習で「マツ、こうやって打つんだよ」と見せてくれたんです。「球が高く上がれば上がるほどスピンが効いてる証拠。たまには、こういう練習も入れてみてもいいんじゃない?」と言いながら、何回かボールをポーンと高く打ち上げていましたね。

――松永さんはその練習を取り入れたんですか?

松永 もともとボールをたたく位置は意識していましたが、そこにスピンを加えることも取り入れました。それが、より集中力を高めることにもつながりましたね。ボールにスピンを加えるためにはどうやってバットを入れたらいいのか、体の動きはどうしたらいいのかとか、工夫をしなければうまくスピンがかからなかったので、勉強になりました。

 あの秋田の夜は、まだまだいろんな話をしましたから、もう少し続けましょうか。

(後編:落合博満に聞いた独自の練習の意図と神主打法。プロとして「共通する部分がたくさんあった」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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【著者プロフィール】
浜田哲男(はまだ・てつお)

千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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