父の蒸発、まさかのプロ入り、新人記録を作るも26歳で戦力外...『プロ野球ニュース』初代キャスター・佐々木信也の知られざる過去 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa
  • photo by Kyodo News

── どうしてですか?

佐々木 ジャイアンツの親会社である読売新聞社と、大毎の親会社である毎日新聞社との問題だったようです。読売サイドとしては、「どうして毎日をクビになった選手をうちで引き受けなければいけないのだ」ということになったみたいで......。水原さんから「力になれずにすまん」と言われたけど、先輩に迷惑をかけるわけにもいかないから、「解説者として頑張ります」と答えました。当時、チーム内でいろいろゴタゴタがあって、水原さん自身の立場も危うかったようです。

── いきなり26歳で戦力外通告を受けて、ここから解説者としての生活が始まりました。いろいろ大変だったのではないですか?

佐々木 解説者としては未熟な私が、ベテランに負けない解説をするためには「若さと行動力で勝負するしかない」という思いでしたね。ほかの人が1時間前にグラウンドに行くのならば、自分は2時間前、いや3時間前に球場入りして、生きたネタを集めるべく取材をしました。誰もいないグラウンドで芝の目をチェックしたり、外野フェンスのラバーに体当たりして感触を調べたり、好奇心の赴くままいろいろ取材しました。そうして、少しずつ認められていった気がしますね。

中編に続く>>

佐々木信也(ささき・しんや)/1933年10月12日、東京都生まれ。湘南高では1年時に夏の甲子園で全国制覇。慶應大では内野手として活躍し、4年で主将を務める。56年に高橋ユニオンズへ入団。1年目から180安打を放ち、ベストナインに選出された。その後チームは大映ユニオンズ、大毎オリオンズと変わるも、59年限りで戦力外となり現役引退。26歳で野球解説者に転身し、76年からスタートしたフジテレビの『プロ野球ニュース』の初代メインキャスターとして人気を博した。

【著者プロフィール】長谷川晶一(はせがわ・しょういち)

1970年、東京都生れ。早稲田大学から出版社勤務を経て、2003年にノンフィクションライターに。2005年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた ! ―涙と笑いの球界興亡クロニクル』『いつも、気づけば神宮に―東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』『幸運な男―伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』『詰むや、詰まざるや―森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』など多数。

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