父の蒸発、まさかのプロ入り、新人記録を作るも26歳で戦力外...『プロ野球ニュース』初代キャスター・佐々木信也の知られざる過去 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa
  • photo by Kyodo News

── お母さまがスカウトに説得された?

佐々木 私自身は、プロでやれる自信もなかったし、東洋高圧への就職が決まっていたから、プロ入りはお断りするつもりで、スカウトから逃げ回っていたんです。でも、母がスカウトの方と仲良くなって、「信也、一度でいいからきちんと話を聞きなさい」ということになって......。まさに、「将を射んと欲すればまず馬を射よ」です(笑)。

── 契約金は350万円、月給は8万円。すぐに川崎に自宅を購入したそうですね。

佐々木 私の知らないうちに母が勝手に物件を見つけてきたんです(笑)。70万円だったか、80万円だったと思うけど、川崎駅北側の40坪ぐらいの小さな家でした。ちょうど、川崎球場の反対側で、高橋ユニオンズの本拠地でもあったので、球場には自転車で通っていました。もしもうちが裕福だったら、私はプロには行っていなかったと思いますね。

【新人最多のシーズン180安打】

── さて、当時の高橋ユニオンズはチーム創設3年目。「日本のビール王」と呼ばれた高橋龍太郎オーナーの個人所有チームでした。経営面は苦しく、有望選手も集められない状態で、チーム成績も低迷していました。

佐々木 たしかにオンボロチームでしたね(苦笑)。みんないい人ばかりなんだけど、個々の能力はあまり高くなかったし、チームとしても弱かった。優勝争いしているチームだったらなかなか出番も与えられなかったと思うけど、高橋ユニオンズだったから、1年目からたくさんチャンスをもらってね。オープン戦で3割6分くらい打ったのかな? それでペナントレースが始まってからも試合に出るようになって。

── 当時の記事を読むと「新人・佐々木二塁手の加入で、ようやくダブルプレーが可能になった」というものもありました(苦笑)。

佐々木 もう、本当にそのレベル。当時は西鉄ライオンズが強かったんだけど、豊田泰光は「弱すぎて同情するからユニオンズとは戦いたくない」と言っていましたね。私がヒットを打ってセカンドに到達すると、「信ちゃん、よう打った!」って褒めてくれる(笑)。中西太の弾丸ライナーのホームランもすごすぎて、つい見とれてしまうぐらい。球場外の照明灯に「明治チョコレート」という縦書きの看板があったんだけど、中西のライナーは「チ」に向かって消えていった。あんなにすごいホームランはその後も見なかったな。

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