父の蒸発、まさかのプロ入り、新人記録を作るも26歳で戦力外...『プロ野球ニュース』初代キャスター・佐々木信也の知られざる過去 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa
  • photo by Kyodo News

── プロ1年目は、新人選手として史上初となる全154試合フルイニング出場を果たし、リーグ最多の180安打を放つ大活躍を見せました。

佐々木 いいスタートダッシュとなったけど、その後がいろいろあってね(苦笑)。プロ1年目のオフ、いきなり高橋ユニオンズの解散が決まったんです。プロ2年目の57年に大映スターズに買収されて大映ユニオンズになって、プロ3年目の58年には毎日オリオンズと対等合併して大毎オリオンズに。プロ3年間で3度も経営母体が変わり、チーム名も変わってね。あの頃のパ・リーグは本当に混沌としていましたね。

【26歳で突然の戦力外通告】

── そして、プロ4年目を終えた59年オフ、突然の現役引退となりました。当時、佐々木さんはまだ26歳になったばかりでした。出場機会が減っていたとはいえ、まだまだ戦力として活躍できた気もします。一体、何があったのですか?

佐々木 私にとっても突然のことなので、ハッキリしたことはわからないけど、翌60年から監督になることが決まっていた西本幸雄さんが「背の低い選手はいらない」という考えだったこと。そして、私と似たようなタイプの内野手が多かったことが理由のようです。西本さんが「このなかで引退しても食いっぱぐれのなさそうな選手は誰だ?」とスタッフに聞いたら、「佐々木です」となって決まったと聞いたこともありますけどね(苦笑)。

── 当時、「巨人移籍」の話もあったと聞きました。

佐々木 当時のジャイアンツの監督は慶應の先輩である水原(茂)さんでした。いきなり水原さんから連絡があって、「よかったらうちに来ないか?」と誘われました。当時、「ファースト・王貞治、サード・長嶋茂雄、ショート・広岡達朗」というそうそうたる布陣でしたから、「このなかで自分もプレーできるのか!」と興奮していたけど、結局この話は流れてしまいました。

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