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ヤクルト髙津臣吾監督に出てきた厳しさと落ち着き。OB八重樫幸雄が語った「恩師」野村克也との共通点と違い (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

他球団の厳しいマークをものともせずに勝ちとったV2

――開幕戦でいきなりスタメン起用した長岡秀樹選手が猛打賞を記録。シーズンを通じて働き、ゴールデングラブ賞を獲得しました。さらに、コロナ禍で選手が大量に離脱した際には武岡龍世選手を一軍に昇格させてすぐに猛打賞。内山壮真選手は一軍でも多くの試合でマスクをかぶるなど、今年は若い選手の台頭も目立ちました。

八重樫 野村さんも二軍から上がってきた選手は即使うタイプでしたね。その点は"恩師"と同じだけど、野村さんはその選手をフルでは出さなくて、どちらかというと一打席、二打席でヒットを打っても、次の打席では代える傾向がありました。一方で髙津監督の場合は、先発で使ったらそのままずっと使っていました。

――髙津監督は「長岡がヒット作だった」と言っていました。

八重樫 それはあるでしょうね。長岡は初球からどんどんいく。それはシーズンの途中で相手バッテリーに見破られて、変化球から入る攻め方に変わっていったけれど、それでもちゃんと捉える技術がありました。それを1年間やり続けてくれたことで、髙津監督の目が確かだったことが証明された。監督としての自信もついたんじゃないですかね。

――1992、93年の野村監督時代以来となる「セ・リーグ連覇」となりました。当時、八重樫さんは現役選手でしたけれど、やはりとても難しいものですか?

八重樫 連覇を狙うシーズンは前のシーズンと全然違います。相手からの研究やマークはキツくなるし、相手チームはエースを中心とした「表ローテ」で向かってきますから。だから当時も簡単に2連覇したわけではなくて、ギリギリで競り勝ったような感じです。でも、今年のヤクルトは、前半戦は独走していました。あまりにも2位とのゲーム差が開きすぎて、「優勝するのが早すぎたら、CSまでの期間が長くなりすぎるんじゃないか」と心配もしていました。

 それが、コロナによる大量離脱があって、選手全体を入れ替えることになった。よくあそこで持ちこたえましたね。いくらゲーム差があっても、連敗して貯金が減ってくると、現場では選手もそうだし、指導者も焦ってくる。そこでしっかりと踏みとどまれたところに、チームとしての地力、底力がついたように感じました。

――その「地力」とはどのあたりに感じましたか?

八重樫 やっぱり投手陣、特に中継ぎ陣ですよ。先発投手が失点しても、中継ぎ陣が大量失点を許さずにしっかりと踏ん張って、その間に打線の援護を持つ。そうして粘り勝ちしていくなかで、チームとしての自信もついてくる。それが力につながる。そんな戦い方を見せてくれたシーズンだったと思います。

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