岡田彰布はコーチのひと言に優勝したい気持ちは消え失せた。「もうあんた、パチョレックとやったらええやん」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 パチョレックとオマリー、両外国人を優遇するような首脳陣を以前から疑問視していたこともあった。それ以上に、中途半端な起用方針でプライドが傷ついた。「優勝争いをするチームに貢献したい」「なにより優勝したい」という気持ちも一気に消え失せた。

「久しぶりに試合出てな。オレ、打てへんかったんなら、外れるのしゃあないけど、結果は出しとんのやから。『そんなんで絶対、優勝できへんわ』って言うたった。『もうあんた、パチョレックとやったらええやん』って。で、最後にオレ、『もういっさい試合に出えへん』って言うたんよ」

 10月7日のヤクルト戦。阪神は9回表まで3対1とリードしながら、その裏、3点を取られて逆転サヨナラ負け。岡田の出場はなく、優勝するためには残り3戦全勝、もしくは、次の中日戦に敗れた場合、ヤクルト2連戦に連勝でプレーオフに持ち込むしかなくなった。同9日の中日戦、岡田は代打で出場し、そのまま一塁を守った。これが92年最後の出場となった。

「10月、2勝7敗やったんや。3勝したら勝てる可能性あったけど、結局、勝てんかった。心の中で『言うたとおりやろ』って。口には出されへんけどな。コーチとそんなんあったからな」

85年と92年の決定的な違い

 岡田自身、85年の優勝を主力選手のひとりとして経験している。当然ながら、メンバーも戦力も大きく違うわけだが、92年の阪神は85年と何が違ったのか。

「85年は力のある選手中心で勝ったけど、92年は、まだまだ力のない若い選手が途中からその気になったんや。オレは冷静に見とったけど、みんな力以上のことができるから、『チーム全体が勘違いしてんちゃうの?』みたいな感覚は持ってた。このメンバーで『なんでこんなに勝つんやろう』って不思議やったもん」

 そもそも、前年に2ケタ勝利した投手がいなかった先発陣。開幕から計算できる人材は見当たらず、ほとんどが実力は未知数だった。だからこそ、大石清投手コーチが懸命に指導していたわけだが、そのなかで各投手、前半戦から不思議なまでに勝ち星がついた結果、体調管理を怠ってしまう者もいた。それが勘違いの証だという。

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