ヤクルト高津監督が語る、緊急事態だったあの日と激動のペナントレース。CSは「勝つことしかイメージしていません」

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro

 2022年のヤクルトは、まさに激動のシーズンだった。前半戦は交流戦優勝など圧倒的な強さで、7月2日には優勝マジック「53」が点灯。しかしその直後、新型コロナウイルスの陽性判定を受けて主力選手などが大量離脱。その後、後半戦も苦しい戦いが続いたが、それでもチーム一丸となりリーグ連覇を成し遂げた。たくましさを増したヤクルトを率いた高津臣吾監督に、優勝までの軌跡について振り返ってもらい、クライマックス・シリーズ(CS)への意気込みを語ってもらった。

セ・リーグ連覇を成し遂げたヤクルト・高津臣吾監督セ・リーグ連覇を成し遂げたヤクルト・高津臣吾監督この記事に関連する写真を見る

チームを襲った衝撃の大量離脱

── 7月9日、神宮球場のクラブハウス前はチーム関係者の方たちが慌ただしく動いていましたが、選手たちはおらず?静けさに包まれていました。そして、監督が試合を前にして球場をあとにしたことで事態を察しました。

「あの日は、まず『オレもか』と。ただ、自分がコロナに感染してしまったことの重大さより、これだけの数のメンバーに陽性判定が出た衝撃のほうが強かったですね。『ちょっと待って、やることがたくさんあるんだけどな......』と思いながらも、『今はここにいてはいけないんだ』と。車に乗って帰ることに違和感というか、気持ちを落ち着かせるのにけっこう時間がかかりました」

── わずか3日間で、監督をはじめ、青木宣親選手、山田哲人選手、中村悠平選手、塩見泰隆選手、清水昇選手など27人が離脱するという非常事態になりました。

「世の中の状況をみれば、チームから感染者が出ることは想定していましたが、これだけの数が同時に出てしまったのにはビックリしました。そのなかで考えたのは、ゲームをどうするかということでした。メンバーはガラッと変わってしまうけど、ファームの選手を連れてくればチームはなんとか編成できるだろうと」

── 2位以下に10ゲーム差以上をつけていたことは救いになりましたか?

「ゲーム差が救いというのは語弊があるかもしれませんが、8月に4ゲーム差まで詰められても勝ちきれたのは、結果的に選手たちが前半戦で頑張ってつくってくれた貯金があったからだと思います」

1 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る