斎藤佑樹「こんな打線、誰なら抑えられるの」。3年春の甲子園、横浜高校戦の大敗から得たもの (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 センバツを終えて、いよいよ最後の夏です。僕の中で日本一は現実的な目標になっていましたし、センバツのベスト8では達成感のようなものはまったく感じられません。甲子園で優勝するという目標に向かうために、自分は何をしなくちゃいけないのかということをすぐに考えましたし、センバツ後は勝てなかった悔しさしか残りませんでした。

 夏の敵は2年の秋に勝った日大三、明治神宮大会で負けた駒大苫小牧、そしてセンバツで大敗した横浜......もちろん、最初に戦わなければならないのは三高です。もともと"夏の三高"と言われるくらい、夏は強い。彼らはいったいどこまでレベルアップしてくるんだろう、技術だけじゃなく気迫というところも含めて、どんな思いで夏の大会に挑んでくるんだろうというところはものすごく考えていました。だから僕らはまず技術で、そして気迫でも三高を圧倒的に上回らなければならないと感じていました。

 そのためにはもう一段階、二段階、レベルアップしなくちゃ、と思いました。センバツの時点ではマックスで145キロを出していたんですが、関西との試合ではほとんど130キロ台でしか投げられていないんです。

 そもそものベースを上げないと三高には勝てないし、上に行ったら強いところばかりと当たることになる。自分の球のスピードのベースを底上げしないと、連戦が続いた時に、強い相手と戦っても勝てないと思いました。ただ、夏までの3カ月で筋量をものすごくアップさせることなんてできるわけないし、できることは何だろうと考えたら、フォームを変えることだと思い到ったんです。

*     *     *     *     *

 軸となる右足のヒザを曲げて、深く沈めてから投げる斎藤のフォーム。じつはこのフォームで投げるようになったのはセンバツが終わってからのことだった。どのようにしてこのフォームが生まれたのか......舞台となったのはとあるファミレスだった。

(次回へ続く)

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る