斎藤佑樹は「自分にもこういう感情があったのか」と驚くほどの執念で甲子園出場を決めた (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 思えば、その後に夏の甲子園を決めた時もうれしかったんですけど、あの秋に東京で勝って、春の甲子園をほぼ決めた時のほうがうれしかったなぁ。優勝の瞬間、さすがにセンターのほうは向いていなかったと思いますけど、ファーストのほうを向いてガッツポーズした覚えがあります。

 1年の夏、2年の春、夏と叶わず、最上級生になって、ようやく届いた甲子園。それこそ、あの時の甲子園に対する執念は自分でもすごかったと思います。少なくとも2年の夏までにはなかった「自分にこういう感情があったのか」と驚くほどの執念......絶対に甲子園へ出てやる、みたいな執念は、準決勝の三高戦の時にも、決勝の東海大菅生の時にも僕のなかにありました。

 最後、右手が痺れて握力がなくなっても、絶対にボールを押し込んで、狙ったところに投げてやる、みたいな気持ちになったのは初めてだったかもしれません。それまでの僕は「野球ってスマートにやったほうがいいじゃん」と思っていたのに、それとは真逆の感情ですよね。最後、この1球、ここを自分で本気になってつかみにいかなければ、甲子園なんて出られないんだぞ、ということをものすごく感じさせられた大会でした。

田中将大との初対決

 それは2年の夏にメッタ打ちを喰らって負けた悔しさもあったからだし、最後、相手の勝ちたいという気持ちをすごく感じたから、ということもあったかもしれません。思えば三高戦で3塁へ牽制してアウトにした時も、相手のランナーが子どものように暴れてたんです。「今の、ボークだろ」「絶対にセーフだ」って、すっごく悔しがっていて、それを見た時に、これだけの熱量を僕らは抑え込まないと勝てないんだなということをすごく感じました。

 僕が菅生の薦田投手からタイムリーヒットを打った時もそうでした。彼はスライダーがいいピッチャーなのでスライダーを張っていたんです。その時、僕はタイ・カッブ型のグリップが太いバットを使っていたんですけど、それを短く持って、逃げていくスライダーを叩こうとつま先重心で構えていました。そうしたら、そこへシンカーが来た。踏み込んで打ちにいっているところへ膝元に沈んでくる球が来たのに、瞬時にクルッと回ることができたんです。

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