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鉄拳制裁、大乱闘劇、報復死球...セ・リーグ初のMVP捕手・中尾孝義が語る「戦慄のプロ野球80年代」 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Sankei Visual

── それはどんなことですか。

「乱闘のあと試合が再開されたんですが、長富がまだマウンドに立っていたんです。すると星野監督が投手担当だった小松崎に『なんでまだ投げとんのや!』と激怒。あの大乱闘は忘れられないですね。当時、広島戦はとくに乱闘が多かった印象があります。殺伐とした雰囲気がありましたね」

報復死球も日常茶飯事

── 捕手である中尾さんは、相手から狙われることはなかったですか?

「もちろん、ありました。スパイクの刃を向けてスライディングされたこともありましたし、明らかに狙われての死球もありました。それに当時はコリジョンもなかったですし、体当たりは日常茶飯事。脳震とうなんてしょっちゅうでした。それはキャッチャーの使命というか、当然のこととして受け止めていました」

── ぶつけられる時というのはわかるものでしたか。

「ピッチャーの視線がふだんと違っていたり、コントロールのいいピッチャーが2球続けて体付近にきたり......明らかに狙われている時はわかりましたね。今と違って当時はエルボーガードのような防具もないですし、1球ぶつけられるとなかなか踏み込めなくなりますよね」

── あらためて振り返って、80年代のプロ野球はどうでしたか。

「今みたいに、ほかのチームの選手と自主トレをしたり、試合前に話をしたり、食事に行ったりすることはなかった。そもそも携帯電話もない時代ですから、まず連絡をとったりしない。顔を合わせるのはグラウンドぐらいで、お互い負けられないという意識でプレーしていたのは間違いないですね。それが時にヒートアップして、乱闘になったりすることはありましたが、意地と意地がぶつかり合うプレーは、見ている方にしてみれば面白かったんじゃないでしょうか。やっている本人たちは大変でしたが......(笑)」

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