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斎藤佑樹の小学生時代「僕はモテませんでしたよ」。野球を始めた契機、憧れたのは松坂大輔と茂野吾郎 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

マンガの主人公に自分を重ねる

 詩で自分をボールに置き換えたりするのは、きっと小さい頃からイメージするのが得意だったからなのかもしれません。今で言うと、イメージトレーニングって、たとえば自分が成功している姿を想像しなさいと言われるじゃないですか。その時、第三者が客観的に見ている映像を思い浮かべるんじゃなくて、自分は当事者で、自分が入っていない映像をイメージして、成功したところを周りの人に見られている......そんなところを想像しなさい、そのほうがよりリアルだから、とも言われますよね。僕はたぶん、子どもの頃からそれができていたんだろうな、という気はします。想像力豊か、みたいなところはあったんじゃないですかね。

 松坂さんのクルッと回ったガッツポーズも、想像していたのは僕がクルッと回っているところじゃなくて、クルッと回った僕のところに向かってチームメイトのみんなが走り寄ってくるシーンでしたから......松坂さんの立場になった時、優勝した自分には何が見えるんだろう、ということを想像して、何度も夢に見ていました。

 実際、甲子園で優勝(2006年夏)してガッツポーズをした瞬間に、「あれっ、ひとりだけ、恥ずかしいことしてないかな」って思いましたからね。「これ、本当に三振だよね、カウント間違えてないよね、スリーアウトで試合終了だよね」みたいなことが頭の中を駆け巡ったんです。なぜかというと、みんなが集まってくるのがすごく遅く感じたから。

 松坂さんが優勝した時、クルッと回ってガッツポーズをして、キャッチャーもファーストも、みんながあっという間にブワーッと集まってきた。僕は長年、その集まってくるところを想像していたんです。そうしたら実際にみんなが集まってくる時間がイメージよりもすごく長く感じて、「あれっ」って(笑)。まさかこれ、まだ8回だったとか、間違えてガッツポーズしていたとか、そんなんだったらすごく恥ずかしいじゃん、なんてことを、甲子園で優勝した直後に考えていました。

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