斎藤佑樹の小学生時代「僕はモテませんでしたよ」。野球を始めた契機、憧れたのは松坂大輔と茂野吾郎 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 周りに強いボーイズやシニアのチームがなかったということもありましたけど、でも硬式を早くから始めると肩やヒジを壊すという意見も聞いたことがあって、ピッチャーは軟式のほうがいいんじゃないかと思っていました。兄も地元の中学でしたし、僕もそのまま生品中学校の軟式野球部に入りました。

 ただ僕が中学に入った時に兄は高校に進学して、ちょうど入れ替わりでした。入部した時の生品中野球部はすっごく弱い時代で、最初は思うように人数も集まらなかった。小学校の時の先輩に中学で野球をやりたくないという人が多くて、野球部がピンチだったんです。このままじゃ野球ができなくなっちゃう、何としても野球部を成り立たせなければ、という危機感がハンパなかった。だから僕は「一緒に野球やろうよ」と同級生に声をかけるところから始めました。

 一人ひとり、野球部に入れないのはなぜなのか、どういう問題をクリアすればいいのかをヒアリングしました。親がお茶当番を嫌がるからとか、練習時間が長いとか、いろんな理由があって......でも、だったらみんなが自分で水を持ってくるようにすればいいとか、練習は来なくても試合にだけ来てくれればいいとか、それぞれの問題を僕なりにクリアしていきました。結局、同級生の野球部員を10人、集めたんです。

 そうやって集めた仲間と、どういう野球をしようかというところから話し合いました。打順はどうで、誰がどこを守って、ということを話し合って決めました。オレたちのスタイルってどういう野球だろう、どうやって勝っていくことがベストなんだろうって考えるところから始めたんです。だから、あの中学のチームメイト11人は野球部を一からみんなでつくり上げた仲間なんです。彼らは僕の野球人生において、野球を考える礎をつくってくれた仲間でした。

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 生品中学に監督はいたものの、野球に詳しくない教師が務めていた。だから斎藤は監督のような視点で野球を考えることを求められた。その経験が斎藤の野球人生を変えていくことになる。

(第3回へ続く)

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