「頭のどこかで将来は医者を目指すだろうと...」そう思い続けていた元プロ野球選手・寺田光輝の壮絶半生 (3ページ目)
寺田 左でずっと練習していたんですけど、高校生になったら右ひじが治っちゃったので戻しました。ただ、なぜ痛めたのか、なぜ治ったのかはわからなかった。そのことで『もっといい治療法やリハビリがあったんじゃないか』っていう後悔は残りましたし、のちに医師を目指すきっかけのひとつにはなったのだと思います。
石川 スポーツドクターという仕事は本当に難しくて、ある意味では選手の夢なり、プレーしたい気持ちをぶっ壊すのが仕事という側面もあります。選手は無理しなければプロになれないこともあるし、かといって続けさせたら壊れてしまうし......。
寺田 ほんとにそれですね。その両方の瀬戸際を潜り抜けてどれだけ選手が希望する目的へと近づけていけるかなんでしょうけど......。『ドクターゼロス』でもひじを壊してトミージョン手術を希望する高校生のピッチャーに、新瑞さな先生は、「手術は無理だから、野球をやめなさい」ってあきらめさせようとするじゃないですか。それに対して野並がすごい術式をもって手術を成功させてしまう。僕も大学2年生の時にトミー・ジョン手術をやっていますが......どっちの気持ちもすごくよくわかるんですよね。
石川 寺田さんも現役中いろんなドクターに出会ってきたと思います。
寺田 はい。いい方もいればそうでない方も......いろんな医師の方がいました。でもマンガの新端先生は、自分が治すことができない患者に対して「無理です」とはっきり宣告した。選手としては、治すことができないのに「大丈夫だ。治るよ」なんて思わせぶりに言われるのが一番きついですから。野並も言ってましたが、はっきりと「無理です」と宣告してくれる先生は優しいとも思いますよ。ただ、野並はそれを自らの技術で可能にしてしまう。そのことは単純にカッコいいと思えたんですけど、なによりも共感できたのは医者が一方的に治療を押しつけるのではなく、ひじを壊した投手とちゃんと向かい合って話を聞いていたこと。「おまえさんの本当の気持ちを話してみろよ」という向き合い方はすごくいいなと思いました。
石川 才能があるゆえに、周囲からの期待を受け、若いうちに無理をしすぎて身体を壊し、プロへの道が絶たれてしまうなんて話もよく聞きますが、表面上の話だけでなく、選手自身の本音を聞きだすのは難しそうですよね。
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