オリックスのリーグ制覇はなぜ実現したのか。OBの日本一戦士が比較する「仰木野球」と「中嶋野球」 (4ページ目)

  • 木村公一●文 text by Kimura Koichi
  • photo by Koike Yoshihiro

■大島公一氏

── 96年優勝当時のオリックスと、現在のオリックス。共通点や違いがあるとしたら?

「当時のチームは、ひと言でいえば大人の集団でした。チームというのは、ひとりのスーパースターだけいても機能しません。中心選手のまわりを固める選手たちが個々の能力に応じた働きをして、はじめてチームになるんだと思います。もちろんイチローみたいな異次元の選手もいましたが、その脇を内野では福良淳一さん、馬場敏史、外野では本西厚博さんといった職人肌の選手たちがいたから、イチローや田口壮ら若手も伸び伸びやれたわけです。いわば玄人好みで、必要な時に点が取れる打線。それが当時のオリックスでした」

── 大島さんは96年に近鉄から移籍しましたが、前年に優勝したチームに溶け込むのは難しかったのでは?

「居場所をつかむには何をすべきか。考えたのは、激しさでアピールすることでした。当時のオリックスはベテランも多く、チーム全体として静かな感じがあった。なので、とにかく声を出し、打っても全力、守ってもカバーリングは100%やる。塁に出ればヘッドスライディングとか。エネルギーが必要だから内心は嫌だったんですけどね(笑)。でも、そうやって元気さ、激しさを前面に出してアピールしなきゃ出番はなかったですからね」

── そんな大島さんを評価して、仰木監督は不動の2番として起用しました。イチロー選手の前後を打つ打者として、難しさはありましたか。

「あの年、イチローは1番か3番での起用だったのですが、僕は3番・イチローの時のほうが好きでした。相手としてはイチローの前にランナーを出したくないから、どうしてもストライク先行の配球になる。甘く入る球も多く、おかげでずいぶんとヒットを稼げました」

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