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日本ハム時代に中田翔を更生させた稲葉篤紀。八重樫幸雄が見たマジメさと面倒見のよさ

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

「オープン球話」連載第83回 第82回を読む>>

【カツノリから聞いた「稲葉獲得」の新事実!?】

――前回に引き続き、侍ジャパン監督であり、ヤクルト時代には八重樫さんもともに汗を流した稲葉篤紀さんについて伺っていきたいと思います。あらためて、1995(平成7)年、ヤクルト入団当時の稲葉さんの印象についてお聞かせください。

八重樫 前回も言ったように、当時の僕は二軍のバッテリーコーチだったから、直接指導をしたわけではないけど、最初に彼を見た時は「細いな」というのが第一印象でした。あと、バッティングを見て「体が固いな」という印象も持ちました。ただ、大学時代はファーストを守っていて、プロ入り後も当初は一塁練習もしている姿を見て、「グラブさばきは柔らかいな」と思ったことは覚えていますね。

2004年にヤクルトからFAで日本ハムに移籍して活躍した稲葉(右)と、若手時代の中田翔2004年にヤクルトからFAで日本ハムに移籍して活躍した稲葉(右)と、若手時代の中田翔この記事に関連する写真を見る――稲葉さんといえば、明治大学在籍中のカツノリ(野村克則)さんの応援に行った野村克也監督が、対戦相手の法政大学在籍中の稲葉さんを見て、「いいバッターだ」ということで指名を決めたという逸話が有名ですね。

八重樫 うん、その話は有名だけど、僕が聞いたのはちょっと違うんですよ。本当かどうかはわからないけど、僕が聞いたのは、野村さんがカツノリに「東京六大学に、誰かいい選手はいるか?」と尋ねて、カツノリが「法政の稲葉さんはいい選手だ」と言ったのを受けて、野村さんが稲葉を見に行って獲得を決めたという話なんですよ。

――そうなんですか! 今度、ぜひカツノリさんに尋ねてみたいと思います。前回もお話に出たように、八重樫さんと稲葉さんが緊密な関係となるのは、1999年に八重樫さんが一軍打撃コーチに就任してからということになるわけですね。

八重樫 そうですね。前回もお話したように、短所は「インサイドの速球に詰まること、振り遅れること」でした。インサイドの速球に振り負けてしまうから、どうしてもそのボールが頭に残っていて、変化球にもきちんと対応できない。変化球を待っていて、ストレートが来たら手も足も出ない。そういう欠点は目立っていました。そして長所は「とにかく練習をやめない」というところでした(笑)。

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