巨人・山口俊がたどる道は? 黒田博樹などメジャーからの「出戻り」後に活躍した先発投手たち (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

 翌2004年は未勝利で戦力外通告を受けると、実業家への転身を経て、北米の独立リーグ、四国九州アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)の高知ファイティングドッグスでプレー。2010年1月に引退を表明した。

 だが、それからわずか1年半後の2011年7月、わずか42歳で帰らぬ人に。多くのファン、関係者が突然の別れを惜しんだ。

【高額オファーを蹴って古巣に復帰した「男気」エース】

 2016年の、25年ぶりとなる広島のリーグ優勝は、黒田博樹の存在なしでは語れない。

 専修大学を経て、1997年ドラフト2位で広島に入団した黒田は、2001年シーズンから3年連続2桁勝利を挙げるなどエースとして活躍。2005年には最多勝のタイトルを獲得し、最優秀防御率に輝いた2006年にはFA権を取得するも、国内では"生涯広島"を貫くことを宣言してチームに残留した。

 2007年オフに、FA権を行使してロサンゼルス・ドジャースに入団。4年間で41勝を挙げると、2012年からはヤンキースでも3年連続で2桁勝利を記録した。特にクオリティ・スタート(6回以上を投げて自責点が3点以内)を達成する試合が多く、安定したピッチングが光った。

 39歳になった2014年オフにFA権を取得すると、サンディエゴ・パドレスが約21億円のオファーを出すなど複数の球団が獲得に動くなか、古巣を優勝させたいという思いから、推定年俸4億円の広島に8年ぶりに復帰。その「男気」は多くのプロ野球ファンを驚かせた。

 復帰1年目の2015年は11勝、翌2016年も10勝を挙げて日米通算200勝を達成。ベテランらしい円熟味のある投球と、勝利への執念をチームに示し、リーグ3連覇を達成する広島の礎を作った。

 2016年の日本シリーズ初登板(第3戦)では、日本ハムを相手に6回途中1失点の好投。大谷翔平をレフトフライに打ち取った直後にマウンドを降り、その日本シリーズの終了後に引退を表明して20年間の現役生活に幕を下ろした。日米通算203勝という成績や、広島復帰を決断した「男気」などが評価され、黒田がつけていた背番号15番は広島で3人目の永久欠番に指定された。

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