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伊藤智仁のような投手は「二度と出ない」。八重樫幸雄が見た「悲運のエース」の野球人生 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【2003年オフ、寂しすぎる引退劇】

――2002年オフに一度は戦力外通告を受けたものの、現役続行にこだわった伊藤さんの希望が通り、球団は通告を撤回。しかし、懸命のリハビリも実らず、2003年オフに正式に引退を決意しました。八重樫さんはこの一連の経緯をどう振り返りますか?

八重樫 トモの引退については、全然記憶がないんです。彼の場合、引退試合もなかったし、セレモニーもなかったよね。あれだけの高速スライダーを投げて、大活躍したピッチャーにしては寂しい終わり方でした。テレビで見たけど、秋の教育リーグでラストチャンスで登板して、全然投げられなかったんでしたよね。

――そうです。2003年10月25日、当時のコスモスリーグで現役続行をかけた最終テストに臨んだものの、最速は109キロ。これが最後の登板となりました。

八重樫 ヤクルトでは(荒木)大輔も、長くリハビリ生活を送っていたこともあったけど、「本当に頑張ったんだな」と感慨深かったです。前回も言ったように、本人は京都出身だけどお父さんが僕と同じ仙台出身だったから、当時も、そして今でも、僕としてはトモのことを「同郷だ」という思いがあるんです。その寂しさは大きかったですね。

――現役引退後に伊藤さんは、二軍、一軍で投手コーチを務めます。八重樫さんの指導者時代とも重なっていますね。

八重樫 短い期間だったけど、コーチとして一軍で一緒にやったこともあったね。一度、オープン戦の時だったかな? トモと大輔が投手コーチだった時に、一緒に大阪で食事をしたことがあったんですよ。前回話した、トモのお父さんの知り合いで、僕の先輩でもある人と食事をする際にトモも誘ったんです。

――伊藤さんのお父さんの知り合いで、八重樫さんの高校の先輩である人との会食が大阪で行なわれたんですね。

八重樫 そう。その先輩はすごく喜んでましたよ。伊藤智仁だけじゃなく、荒木大輔まで一緒に来たんだから。そういえば、沖縄のキャンプでもトモと食事をしたんだけど、そこでも大輔が一緒だったな。でも、トモは先輩の大輔が一緒だから、物静かにしていたね(笑)。

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