バレンタインが変えたプロ野球。里崎智也が「新鮮」と感じた起用法とは (2ページ目)
――リーグ優勝と日本一に輝いた2005年のロッテは、日本シリーズまでの計147試合で組んだオーダーが135通りにも及ぶなど、"休みながら戦う"という考えが打線にも反映されていました。里崎さんが2番に入るケースもありましたが、戸惑いはありませんでしたか?
里崎 戸惑いはなかったです。打順が早く回ってくるか、遅く回ってくるかの違いしかないので。2番に入ったら小技ができるようになるわけでもなく、4番で起用されたからホームランを打てるわけでもありませんし。いつものバッティングをするだけでした。
当時のロッテについて振り返った里崎氏 photo by Hamada Tetsuoこの記事に関連する写真を見る――バレンタイン監督から、2番で起用した意図などの説明は事前にありましたか?
里崎 2番で起用された時はありましたね。「(西岡)剛がランナーに出たら、剛の足を警戒して相手はアウトコース中心の攻めになる。サト(里崎)は外の球を反対方向に打つのがうまいから、それを踏み込んでライトへ打て」と。実際に剛がランナーに出たら、面白いようにアウトコースにくるんですよ。そこでライトに打って、一、三塁とチャンスを広げることを意識していました。
――当時は2番に、バントやヒットエンドランなど小技に長けた選手が入ることが多い時代でした。
里崎 ボビーの時は、2番が堀(幸一)さんや福浦(和也)さんが2番を打つケースもありました。逆に4番でも状況によってバントさせていましたね。当時は日本ハムでも、強打者のガッツさん(小笠原道大)が2番に入ったりしていましたから、ちょうど「2番打者像」が変わりつつある時代だったのかもしれません。
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