2021.06.07

プロ野球史上、唯一無二の美しさ。金城基泰が語る、あのアンダースロー

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第18回 金城基泰・前編 (記事一覧を見る>>)

 メディアで取り上げられることが少なくなった「昭和プロ野球人」の貴重な過去のインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズ。中高年の野球ファンは、広島、南海などで活躍し、現役晩年は韓国プロ野球の発展にも貢献した金城基泰(かねしろ もとやす)さんのことを覚えているだろうか。

 体をグッと低く沈み込ませながら、ボールを持った右腕が一瞬、天空を突き刺すように真っすぐ伸びる独特のアンダースロー。誰にも真似のできない美しいフォームはどのようにしてつくられ、プロで最多勝、最優秀救援投手のタイトルを獲得するまでに磨き上げられていったのか。

右腕が天を突く、金城基泰の独創的な投球フォーム(写真=共同通信)右腕が天を突く、金城基泰の独創的な投球フォーム(写真=共同通信)

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 金城基泰さんに会いに行ったのは2016年10月。きっかけはその1ヵ月前、広島が25年ぶり7度目の優勝を決めた試合で、それが1975年の初優勝時と同じ巨人戦だった。往時の活況を伝える報道に触れたとき、[カープ初の胴上げ投手]となった金城さんの勇姿が思い浮かんだ。

 テークバックの大きい、ダイナミックなアンダースロー。その独特のフォームは一度でも見たら忘れられず、僕自身、初めて目撃したのは小学生時代だったがはっきり記憶に残っている。下から浮き上がるような快速球は威力があった。

 広島入団は1971年。大阪の此花(このはな)商高(現・大阪偕星高)出身で、ドラフトでは5位指名だった。それでも金城さんは3年目の73年に10勝を挙げると、翌74年には20勝で最多勝に輝き、リーグ最多の奪三振を記録。一気に成長したのだが、同年オフ、交通事故に巻き込まれて長い入院生活を送っている。一時は失明の危機もあったという。

 では、なぜそれほどの重傷を負いながら早期復帰し、翌年の初優勝に貢献できたのか。それ以前に、なぜ4年目で急成長できたのか。投手としての技量、力量の原点から聞きたい──。そう思って取材を申し込み、大阪に向かった。