名捕手・大矢明彦の驚きの配球術。八重樫幸雄「ひとつ上のレベルだった」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

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【第一印象は、「意外と太ってるな(笑)」】

――ここまで、ヤクルトスワローズ時代の先輩である若松勉さん、松岡弘さんについて伺ってきました。今回からは、同じく「花の昭和22年組」の大矢明彦さんについてお話を聞いていこうと思います。八重樫さんのほうが4歳年下ですが、大矢さんとは「プロ同期」に当たりますね。

八重樫 そうなんです。僕も大矢さんも1969(昭和44)年のドラフト同期ですね。僕は高校から、大矢さんは駒澤大学からプロ入りしました。

観客の声援に応える投手の松岡弘(右)と捕手の大矢明彦(左)観客の声援に応える投手の松岡弘(右)と捕手の大矢明彦(左)――奥ゆかしい八重樫さんなので、僕が代わりに言いますが、八重樫さんはドラフト1位、大矢さんは7位入団でした。大矢さんとの最初の出会いはいつになりますか?

八重樫 たぶん、1970年1月の新人合同自主トレだったんじゃないかな? あの頃は、1月10日過ぎには合同自主トレが始まっていたから、13日くらいに神宮第一球場で会ったのが最初だった気がします。僕も大矢さんも、詰襟の学生服姿で、そこからトレーニングウェアに着替えてね。

――第一印象は覚えていますか?

八重樫 「あんまり背が高くないな」ということと、「意外と太ってるな」って感じたことは覚えています(笑)。そのあと、キャンプ、オープン戦の頃にはだんだん絞れてきたけど、最初の印象は「太ってるな」だったんですよ。

――ドラフト同期だけど同じポジションだし、大矢さんは大卒で年齢も上だし、ということで、ライバル意識はあったんですか?

八重樫 全然、そんな思いはなかったですよ。「ドラ1だから自分のほうが上だ」とか、「絶対に負けないぞ」という意識もないし、大矢さんのほうが年齢が上なので、普通に「先輩」として接していました。入団当初は「1年ずつ力をつけて、何年後かにレギュラーを掴もう」と考えていましたから、その時点で「大矢さんに負けない」という意識はなかったです。

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