門田博光は野茂英雄打倒に5カ月を費やした。「それがプロの世界なんや」 (3ページ目)
打球が日生球場(※)のライトスタンドに突き刺さると、門田は「オレの理論は正解やったな」と、満足感に浸りながらダイヤモンドを回った。
※大阪市中央区森之宮にあった球場で、近鉄が1958~83年まで本拠地、84~96年まで準本拠地として使用。97年限りで閉鎖となった
「1カ月間、練習らしいことをしなくても、開幕戦のあの雰囲気が集中力を生んで、勝負師の勘も働いて、300勝投手から打つことができたんや。やっぱり、開幕戦は特別やということを確信した試合やった」
この1本で調子に乗った門田はこの年、自身初の40本塁打を記録。アーチストとしての道を歩み始めた。
開幕戦の思い出話は、やがて打倒に執念を燃やしたゴールデンルーキーとの初対決へと広がっていった。
ゴールデンルーキーとは、1990年に新日鉄堺から近鉄へ入団した野茂英雄だ。前年秋にドラフト史上最多となる8球団から1位指名を受けたルーキーの登場は、すでに40歳を迎えていた門田の心に新たな火をつけた。
「近鉄に来ると決まって、新聞記者に『(野茂は)どうなんや?』って聞いたんや。そしたら10人中8人が『すごいです』って言いよった。オレの経験から、10人中5人の『すごい』なら大したことない。でも、野茂については8人が言うんやから『これは本物や』となったんや」
さらに門田が「何がすごいのか?」と聞くと、記者からは「ストレートとフォークです」と返ってきた。そこでフォークについて「兆治より上か?」と聞くと、記者たちは考え込んだ。球界一と称されていたロッテ・村田兆治(通算215勝)に匹敵するフォークと、150キロを超えるストレート。記者たちの反応を見ながら、挑むべきターゲットが決まった。このルーキーから最初のホームランはオレが打つ──。
オフになるといつ実現するかわからない初対決に向け、門田の表現を借りるなら「静かなる準備」が始まった。当時奈良に住んでいた門田は、12月半ばからキャンプまでの約1カ月半、近くのゴルフ場を借り、朝5時半から真っ暗のなかをひたすら走った。
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