「どういうふうに野球をやめようか」から高木由一は2度の球宴出場を果たした (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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「内臓が悪いし神経も細いし、病院の先生も無理と言っているのでお断りします」

 そうしてストレスがなくなったからだろうか。2、3日もすると胃痛はすっかり治ってしまった。

 それでも、大洋はしつこかった。編成担当の湊谷武雄から今度は「病院に行ってきました」と電話があった。

「先生に許可をもらいました。何かあればこちらが責任を持ちます。ぜひウチに来てください」

 ほとほと困り果てた高木は、父に相談した。親の立場を考えれば、市役所からプロ野球のような不安定極まりない世界に飛び込むなど、言語道断と止められるに違いない。そう想像していた高木に思わぬ答えが返ってきた。

「行ってこい。若さの特権というのは、やり直しがきくことだ。2~3年兵役に行くつもりで行ってきたらどうだ?」

 この言葉で高木の腹は決まった。球団に「お世話になります」と返事をし、4年8カ月勤めた市役所をやめることにした。

 とはいえ、プロの壁は想像以上に高かった。

 周りを見渡せば、甲子園で活躍するような強豪チーム出身者がゴロゴロといる。プロ野球では試合前に同じ出身チームの先輩・後輩が挨拶を交わすものだが、高木は挨拶する先輩もいなければ挨拶にくる後輩もいなかった。

「ほかの人は、大会で対戦したとか顔見知りや知り合いばかり。でも、僕は誰も知らないし、そういう感覚がなかった。それはプロにいて、ずーっと慣れなかったですね」

 肝心の野球は、技術以前の問題でつまずいた。高木は「あの楽しかった野球は何だったんだ?」と嘆いた。

「サインプレーや連係プレーなんてまったくやってきていないので、セオリーがわからないんです。サインを見るタイミングもわからないし、状況に応じてバントをどの方向に転がせばいいのか、ヒットエンドランでどっちに打てばいいのかもわからない。野球が一気に難しくなって、頭が慣れるのに時間がかかりました」

 チャンスはドラフト上位入団の選手に優先的に与えられ、テスト入団の高木のチャンスは限られた。

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