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「王貞治の一本足打法は弱点でもある」。遅い球で詰まらせた安田猛の秘策 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――この頃の安田さんの姿を子どもながらに覚えていますが、マウンド上での威圧感みたいなものはほとんど感じられませんでした。

八重樫 先発してノックアウトされた時、まだ体が元気な頃は「マウンドから降りたくない」という雰囲気が漂っていたんです。でも現役晩年になると、自分の思うようなボールが投げられないから、降板を告げられると自ら逃げるようにベンチに戻っていくようになりました。あの姿を見るのはつらかったな。

――1981年限りでユニフォームを脱いだ安田さんは、一軍投手コーチやスカウト、スコアラー、編成部長を歴任しました。ずっとヤクルトに在籍していたので、八重樫さんとも長いつき合いとなりました。

八重樫 いろいろ頭を使って投げていた人だから、いい指導者になると思ったんだけど、若い選手たちの中にはとまどっていた選手もいましたね。尾花(高夫)なんかは貪欲に知識を取り入れるタイプだから、安田さんの話に耳を傾けていろいろ実践してみたようだけど、大川(章)とか、矢野(和哉)なんかは安田さんの指導は合わなかったみたいでした。あの頃は、安田さんに頼まれて若い投手たちの悩みを聞いたり、安田さんの考えを伝えたり、僕なりにいろいろしましたね。

――まだまだ安田さんの思い出話は尽きません。ということで、次回もこの続きからお願いします。

八重樫 僕にとっても大切な人でしたから、また次回も思い出話をしたいと思います。

(第57回につづく)

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