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「王貞治の一本足打法は弱点でもある」。遅い球で詰まらせた安田猛の秘策 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【左ひざの故障で早すぎる現役引退】

――ルーキーイヤーの1972年に新人王と最優秀防御率の二冠を獲得。翌1973年も最優秀防御率のタイトルを獲得。入団直後の安田さんはすごかったですね。

八重樫 他にいないタイプのピッチャーだったし、絶妙のコントロールを誇っていたから、決して威圧感はないのに圧倒的な成績を残していましたね。プロ3年目に右ひざを故障してから、改めて試行錯誤が始まった。1975年は16勝、1976年は14勝、1977年は17勝、1978年は15勝とコンスタントに勝ち星を重ねたのは立派でしたよ。

――でも、1979年は1勝、1980年は4勝、そして1981年は0勝。この年限りで、34歳での引退となりました。晩年は故障に苦しんだんですよね。

八重樫 そうですね。プロ3年目が右ひざで、現役晩年は軸足となる左ひざを故障したんだよね。正直に言って、もうキレのあるボールは投げられなくなっていました。とにかく、ごまかしのピッチングだった。マウンドに上がる、降りるだけでも苦しそうでしたから。相手にバントをされると、処理ができなくなっていたね......。

――左足のひざを故障したということは、軸足ですから、当然ピッチングにも大きな影響を与えるでしょうね。

八重樫 安田さんの持ち味は、投球を始めてからのタメにあったんです。左足一本で立った時に、じっくりとタメができるから、バッターのタイミングを狂わせることができた。でも、左ひざを故障してからは下半身の粘りが利かないから、上半身でごまかすしかなかったんです。でも、それもすぐに対策を立てられる。そうなると、もう安田さん本来のピッチングはできなくなるよね。

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