検索

【高校野球】「2018年8月12日を一生忘れない」 仙台育英・須江監督が語る、惨敗から始まった日本一への物語

  • 菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi

名将たちの甲子園初出場物語
須江航(前編)

 甲子園での試合を終えた監督や選手たちは一塁側ベンチ脇から続くスロープをたどって、球場内部の記者会見場へとやってくる。勝利チームはもちろん、敗戦チームの監督も所定のお立ち台に立ち、報道陣からの質問に答える。

「敗軍の将」は潔く完敗を認めたあと、噛み締めるようにこんな言葉を口にした。

監督就任1年目の2018年夏に甲子園出場を果たし、選手たちから胴上げされる仙台育英・須江航監督 photo by Sankei Visual監督就任1年目の2018年夏に甲子園出場を果たし、選手たちから胴上げされる仙台育英・須江航監督 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【あの選手たちがいなかったら...】

「初めての甲子園で、内容・結果は見てのとおりです。勝ちたい選手を目の前にしながら、勝利に導けなかった。指導者として、2018年8月12日という日を一生忘れないようにしたいです」

 その日、仙台育英は浦和学院に0対9で敗れた。仙台育英にとっては、屈辱的なワンサイドゲーム。だが、須江航監督の表情は、どこか晴れやかだった。

 その時、須江監督は35歳。仙台育英の監督に就任して1年目。「青春って密なので」の流行語は、まだ生まれていない。

 仙台育英学園秀光中で全国優勝に導いた実績があっても、「一部のマニアックな人しか知らなかったでしょう」と本人が自虐的に語るように全国的な知名度はなかった。

 あれから8年近い年月が経ち、今や高校野球界で須江航の名前を知らぬ者はいないといっても過言ではない。そんな須江監督にとって、初めての甲子園はどんな位置づけになっているのだろうか。須江監督に聞くと、万感の思いが溢れた。

「あの選手たちがいなかったら、のちの甲子園優勝は絶対になかった。本当にそう思います」

 当時の選手にはプロへ進んだ者はおらず、今もアマ球界でユニホームを着ている者も多くはない。それでも、須江監督の野球人生を語るうえで、2018年の甲子園初出場は欠かせない経験になった。

【なるはずではなかった高校野球の監督】

 須江監督は仙台育英、八戸大(現・八戸学院大)で学生コーチを務めたあと、秀光中で指導者としてのキャリアをスタートさせている。中学軟式の世界で実績を積み上げるなか、あるアクシデントに襲われる。

 2017年に仙台育英の部内で不祥事があり、佐々木順一朗監督(現・学法石川)が引責辞任。翌年1月から後任として須江監督が就任した。須江監督に言わせれば、「なるはずではなかった高校野球の監督」だった。

1 / 3

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

フォトギャラリーを見る

キーワード

このページのトップに戻る