パ・リーグDH誕生秘話。それは世界一の代打男の執念と技術から始まった (5ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 ところで、きっかけを作った高井自身、当然、DH反対派ではなかった。77年からの3年間は、DHとしてレギュラーになった。その後は代打出場が増え、81年に27本目の代打本塁打を放って世界記録を樹立。そのなかでもDHでの出場があったおかげで、82年まで16年間の現役生活を全うできた。ただ、全面的にDHに賛成したわけでもなかった。

「ワシの代打ホームラン人生、途中、DHでレギュラーとして出とるから3年ほどブランクがあるんよ。それで代打の楽しみは減った。でも振り返ってみると、DHになって給料も上がって、長いこと現役でやれたしな」

 レギュラー出場を「ブランク」と言い放てるのは、すべての野球人の中で高井だけだろう。それぐらい、一振りにかけて代打の世界記録をつくった男が、たった一振りで強打者が生きる新たな道を切り拓き、野球を変え、球史を変えたのだ。

(=敬称略)

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