名球会メンバーが涙した大杉勝男との別れ。八重樫幸雄はサヨナラ打を捧げた

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

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【亡くなる数日前にお見舞いに行った】

――元ヤクルトのチームメイトだった大杉勝男さんについての思い出を伺っています。その最後となる今回は、1992(平成4)年、大杉さんが47歳で亡くなった頃のことをお話しいただけたらと思います。前回のラストでもお話しされていましたが、亡くなる直前にお見舞いに行かれたんですか?

八重樫 大杉さんが亡くなったのは1992年の4月の終わりでしたよね?

――はい、1992年4月30日でした。

八重樫 僕はまだ現役で、その日は甲子園球場で試合があったんです。30日は3連戦の最終戦だったので、27日か、28日だったか、いずれにしても移動日当日に大杉さんのお見舞いに行ったんだよね。「体調が優れない」って聞いていたから。

本塁打王2回、打点王2回など輝かしい成績を残した大杉本塁打王2回、打点王2回など輝かしい成績を残した大杉――当時、八重樫さんは大杉さんが肝臓がんであること、そして余命が短いということも知っていたんですか?

八重樫 肝臓がんであることは知っていたけど、余命に関しては、まさかお見舞いの数日後に亡くなるとは思っていなかった。いずれにしても「大杉さんの体調が優れないようだからお見舞いに行こう」ということで、ヤクルトのチームメイトだった会田照夫さん、山下慶徳さんを含めて、4人ぐらいで病院に行ったんです。

――病床の大杉さんはどのような状態だったんですか?

八重樫 意識もあるし、僕たちと会話をすることもできるんだけど、ものすごくやせていたことは、よく覚えています。顔の大きさは変わらないんだけど、顔は真っ黒で、頬がげっそり痩せこけていて、目の白目部分は真っ黄色だった。黄疸が出ていたんです。そして、自分からパジャマをめくって、「こんなになっちゃったよ」って、ガリガリの体を見せてくれたんだよ。

――この時はどんな会話を交わしたんですか?

八重樫 大杉さんはずっとしゃべっているんだけど、うまくしゃべれないし、口の中がカラカラだから、唇の両端が唾で泡立っているんだよね。だから、僕たちは「大杉さん、無理してしゃべらなくていいから」って言うんだけど、昔の思い出話や病状について、ずっとしゃべっていた。あの姿は今でも鮮明に覚えているな。

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