内川聖一が明かす現役続行を決断した要因。自身のキャリアを振り返る (4ページ目)
ちょうどその年に、ヤフオクドーム(当時)にホームランテラスができたのもあって、安易に打球に角度をつければホームランが増えるだろうと思っちゃったんですね。たとえ打率が下がろうと、4番らしい仕事をしなくては、という方向に走ってしまった。
そこに関しては後悔しているところ。バッティングの狂いが、そこから続いてしまったところは正直あります。周りから受ける刺激に対して結果がうまくついていかなかった。そこは悩みましたし、考えさせられたシーズンでした」
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酸いも甘いも噛み分けたホークスでの10年間。多くの栄光の一方で、常勝軍団に身を置くことの苦悩も味わった。そして10年目の昨季、二軍生活を送るなかで湧いてきたのは、「まだまだ野球がやりたい」という想いだった。
「もちろん野球選手としては、試合に出るのが大前提としてあります。38歳の年で1試合も出られないとなると、当然、引退も視野入っていました。でも、引退をする踏ん切りが自分でもつかなかったし、辞めるという決心もつかなかった。先を考えた時に、自分のなかでまだやりたいという想いが一番に来たんです」
その想いに至った要因は、自身のキャリアにあると、内川は言う。
「鳴り物入りでプロの世界に入って、すぐにレギュラーを取って、華々しく活躍して、パッと散っていく。そんな選手だったら、ここで一区切りつけてもよかったかもしれない。
でも、僕の場合はレギュラーを取るまで長い時間がかかりましたし、何とかやり続けて、気づいたら20年も経っていた。そんなタイプなので、あっさりやめようという気持ちにはならなかったんですね。とことんやってみようと。必要としてくれるチームがあるなら、続けようと。それがなければ、引退しようと思っていました」
続けたい気持ちがある一方で、必要とされなければ野球を続けることができない。現役続行か、引退か。そんな内川の力を認め、求めてくれたのが、ベイスターズ時代の師が在籍する東京ヤクルトスワローズだった。
(後編につづく)
【profile】
内川聖一(うちかわ・せいいち)
1982年8月4日生まれ、大分県大分市出身。2000年ドラフト1位で大分工高から横浜ベイスターズに入団。10年間プレーしたのち、2011年に福岡ソフトバンクホークスにFA移籍する。2008年、2011年と両リーグで首位打者に輝くなど、球界を代表するアベレージヒッター。2018年にNPB史上51人目の通算2000安打を達成した。今季より東京ヤクルトスワローズに所属。185cm、93kg。右投右打。
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