「人的補償最高! ありがとう!」巨人より中日で長く続けた小田幸平の自負 (5ページ目)

  • 森大樹●取材・文 text by Mori Daiki
  • photo by Kyodo News

 僕がここまで長く野球がやれたのは、人的補償という制度があったから。そうでなければ小田幸平という選手が全国に知られることもなかったでしょうし、今回の取材もなかったでしょう。まとめると、『人的補償最高! ありがとう!!』ってことですね。このテーマを、ここまで明るく話せるやつはいないんじゃないですか(笑)」

 小田は今年から、自身のアマチュア時代の古巣が再編・統合されて発足した三菱重工Westのヘッドコーチに就任することが決まっている。地元・兵庫の社会人チームを指導するという次なる"道"を歩む小田のもとで、どんな選手が育つか楽しみだ。

(第6回につづく)

■小田幸平(おだ・こうへい)
1975年3月15日生まれ。兵庫県高砂市出身。三菱重工神戸から1997年のドラフト4位で巨人に入団。捕手としての能力を落合博満に高く買われ、人的補償で2005年に中日に移籍。チームの雰囲気を盛り上げる2番手捕手として、2014年シーズンまでプレーした。引退後はコーチや解説者として活躍。2021年から三菱重工Westのヘッドコーチを務める。

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