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門田博光のバットへのこだわり。
野村克也に学び清原和博に聞かれたこと (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 門田はそのバットを早速使ってみた。大分での近鉄戦、1打席目は普段なら先っぽに当たるはずの球をとらえてセンター前ヒット。「ええな」となりかかったが、2打席目に内角球をボキッ。根元から折れ、「こっちはアカン」と長さへの挑戦はここで終わった。

 その一方で、1キロへの挑戦は続いた。

「バットはバランスによって、同じ重さでも重く感じるものもあれば、そうでないものもある。自分で扱えるバランスのなかで重みがあるのがええわけや。そのなかでオレにあった1キロを見つけて、1年振れるようにやっていった。

 オレは上背がないから、余計に『あと半インチ長くしたらどうなる?』『もう100グラム重くしたらどうなる?』と、そんなことばかり考えとった。佐々木小次郎もこんな感じやったんとちゃうか。もっと長い刀を使ったらどうなる、と挑戦しているうちに物干し竿になっていったんやろう」

 佐々木小次郎は当時の将軍・徳川家康が刀の長さは2尺8寸(約87.5センチ)までとする御触れを出していたなか、3尺ほど(約1メートル)の刀を使い、その刀に「物干し竿」の呼び名がついたとされる。それを指しての話だったが、とにかく自分でやってみるのが門田だった。

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 1キロのバットが広く知られるようになった頃、西武戦で一塁へ出塁した際、清原和博から質問を受けたことがあった。

「夏場はバットを軽くするんですか?」

 これに門田はこう返した。

「普通はそうや。ただな、疲れが出てきた時に軽いのを使うほうがいいとは誰でも考えることや。逆に、重いバットを使って、その重みを利用して振るのも手なんや」

 実際、門田は絶不調時に1350グラムという超規格外のバットを使い、自らのバッティングがどうなるのかを試したことがあった。未知なるものには常に可能性を求め、経験したからこそ信じることができた。

 ひと昔前にくらべて、打球の"飛び"ということに限れば、バットの性能が上がり、選手たちを軽量化へと向かわせた。軽いバットのほうが細かな変化球や150キロが当たり前になったスピードボールにも対応しやすいというのが、今の選手たちの主張だ。これに門田は首を傾げる。

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