2020.11.18

三冠王バースの怖さを八重樫幸雄が語る。
「もうお手上げ状態だった」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

【1988年のバースは体がボロボロだった】

――ヤクルト投手陣の「バース対策」はどんなものだったんですか?

八重樫 この年のバースに関しては、もうお手上げ状態だった。王(貞治)さんが三冠王を獲った時もそうだけど、1985年のバースはどんなボールでもしっかりと見極めて、甘いボールを確実に仕留める完璧さを備えていたからね。バースも掛布も左バッターなのに、左ピッチャーをまったく苦にしないのが、とても厄介だったな。

――当時のヤクルトの左投手といえば梶間健一さん、大川章さんといった名前が挙がります。

八重樫 掛布は梶間を苦手にしていました。横から投げて外に逃げていくスライダーを空振りすることが多かったね。でも、バースは右ひざがまったく崩れないから、じっくりと引きつけて簡単にレフトにホームランを打っていたよ。

――そうなると、まさに「お手上げ状態」なんですね。

八重樫 一応、「インハイを攻めてカウントを整えてからアウトコースで勝負する」という基本スタンスはあったんですけどね。インハイを意識させておくと、彼はアウトコースのボールが見えなかったんですよ。梶間でも、来日当初はこの攻め方で成功したんだけど、その後はまったくダメだったな。

――数年先の話になりますが、1988年シーズン、息子さんの病気をめぐる騒動によって、バースは途中帰国。そのまま退団となりました。のちに発売された『バースの日記。』(集英社文庫)を読むと、ヤクルト入りの可能性もあったそうですね。

八重樫 えっ、そうなの? 全然知らなかった。

――1982年から1984年まで阪神の監督だった安藤統男さんが、当時はヤクルトのヘッドコーチでした。その縁もあって、ヤクルト入りに積極的だったそうです。

八重樫 そうなんだ。でも、1988年頃のバースは、相当コンデイションが悪かったですよ。たぶん左ひざだったと思うけど、一塁ベースを駆け抜ける時でも足を引きずっていたから、仮にヤクルト入りしたとしても、阪神時代のような成績は残せなかったんじゃないかな?

――ちなみに、掛布さんの本(『巨人-阪神論』江川卓、掛布雅之著・角川oneテーマ21)によれば、当時ヤクルトの監督だった関根潤三さん自ら、掛布さんに獲得交渉したものの、掛布さん自身が固辞したことで実現しなかったそうです。

八重樫 バースと掛布がヤクルト入りしていたら、また違った歴史が築かれていたかもしれないね。今回はバースに関する話が多かったけど、次回は掛布と岡田についても詳しく話しましょう。

(第42回につづく)

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