「獲らしてください」とノムさんに直訴、
プロ野球初代セーブ王が誕生
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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第12回 佐藤道郎・前編 (第1回から読む>>)
コロナ禍で変則日程となった今シーズンのプロ野球は、各チームの救援投手、とりわけ"抑えの切り札"とされる投手たちの不調が目立っている。強靱なメンタルを持つ彼らをもってしても、一度狂ったリズムを取り戻すのは至難の業なのだろう。
個性豊かな「昭和プロ野球人」の過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズの12人目は、そんな"抑えの切り札"が注目され始めた1970年代の「初代セーブ王」佐藤道郎(さとう みちお)さん。ルーキーイヤーにいきなり18勝を挙げて新人王に輝いた実戦派右腕は、ノムさんとバッテリーを組み、どのようにクローザーとしての地位を築いていったのか。
南海に入団し、監督兼任の野村克也捕手に大阪球場を案内される佐藤道郎(写真=共同通信)
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佐藤道郎さんに会いに行ったのは2011年7月。きっかけになったのは、その1ヵ月前に取材した[ミスターブレーブス]長池徳士さん(元・阪急、旧名は徳二)に聞いた話だった。プルヒッターの長池さんが放った通算338本塁打のうち、唯一、右方向へ狙って打った一撃。
「あれは南海戦で、延長でした。佐藤ミチっていうピッチャーがいましてね。もう、外角へくるのはわかってるんです。外角へスライダー。これを僕はライトへ放り込んでやろうと思ってね、踏み込んで右のほうへ打った。サヨナラホームランでした」
南海(現・ソフトバンク)の佐藤ミチ、佐藤道郎の名前は知っていた。この投手で「サヨナラホームラン」といえば、3試合連続サヨナラ被弾というとんでもない記録がある。だから、長池さん唯一の一撃がそのうちの1本ではなかったか、と思ったのだ。
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