2020.09.28

3試合連続サヨナラ本塁打を食らった男。
「もう取り憑いちゃったね」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第12回 佐藤道郎・後編 (前編から読む>>)

 平成の時代にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」──。時代は令和に変わり、昭和は遠い昔となりつつある。しかし、そんな今だからこそ、当時の球場を沸かせた個性あふれる選手たちを忘れずにおきたい。

「昭和プロ野球人」の過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズの12人目は、プロ野球「初代セーブ王」の佐藤道郎(さとう みちお)さん。新人王を獲得した初年度からリリーフ、ときには先発とフル回転していた右腕は、なんと自分から「救援投手のタイトル創設」を訴え、その初代の栄誉を勝ち取っていたのだった──。

1973年、巨人との日本シリーズ第4戦で力投する佐藤道郎(写真=時事フォト)
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 そもそも、セーブがメジャーリーグの公式記録となったのは1969年。条文が整理され、野球規則に載るようになったのは73年。この情報を契機として、「アメリカではもうタイトルがあるじゃないか」と選手間で言われ始め、翌74年の導入につながったと推察できる。

「うん、それはそうだったね。あとは当時、リリーフだけの防御率1位ってのを作ってくれ、っていう願望もあったんですよ。かたや先発で200何イニング投げてて、こっちは130イニング。あの頃は130試合制だから、130投げたら防御率のタイトル獲れた。だけど、200何イニング投げてる人と自分が争うのもおかしいな、っていう気があって」

 セーブと防御率の同時受賞は当然、前例がなく、記録とタイトルを巡って戸惑いがあったのも仕方ないと思う。が、そこでリリーフ独自の防御率1位を提案するあたり、セーブ制度を望んだ佐藤さんならでは、という気がする。