ドラゴンズの名手は言った「勝つためじゃない、かっこいいからです」
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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第8回 高木守道・後編 (前編から読む>>)
平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。元号はすでに令和となり、昭和は遠い過去になろうとしている。個性あふれる「昭和プロ野球人」の過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、その真髄に迫るシリーズ。
1月17日に急逝した高木守道さんが2008年に語っていたロングインタビューの前編では、バックトスをとがめた水原茂監督に公然と反抗したり、バットを思い切り長く持って振り回したり......。のちの"いぶし銀"や"地味"というイメージとはちょっと異なるエピソードが多かった。"ミスタードラゴンズ"は、いったいどのような野球人だったのか。
高木守道の華麗なプレーには強いプロ意識が込められていた(写真=時事通信)
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[名将]といわれた水原茂に「頭にきた」なんて、内面は相当に激しかったのか。高木さんとしては、監督に反抗してまでバックトスをやるだけの強い意志とプライドがあったのか。
「まぁ、プライドというか、今まで一生懸命、かっこいいプロのプレーとしてやってきたのに、という思いがあったから......。納得できないですよ。で、まだ若い頃、杉浦さんが監督のときなんか、どういうプレーだったか忘れましたけど、何かのミスを指摘されて、納得できんから、そんなんじゃできん、できん! ということもあって、試合中に合宿に帰っちゃった。ははっ」
いかにも文献資料には、1963年、当時の杉浦清監督に反抗した顛末が載っていた。読んで驚いた。当時の高木さんはレギュラーになったばかり。なかなかできることではないだろう。
「いやぁ、とにかく納得できんと、つい反抗してしまう。わりあいカッカしやすい、短気は短気なんですけど、それはずーっと抑えてきました。ただ、どうしても納得せんと爆発するというのは、その帰っちゃったときがいちばんの代表例やね。はっはっは」
試合中に無断で帰宅──。来日した助っ人なら聞いたことがあるが、日本人選手ではまずない。しかも、そうした裏話をいかにも楽しそうに話しているのは意外で、これまで持っていた高木守道という野球人のイメージが一変してしまった。
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