2019.05.10

三冠王ブーマーが誇っていた選手の絆
「スターがいるだけでは勝てない」

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

平成元年に助っ人たちが語っていた日本野球~ブーマー・ウェルズ

 平成が始まった1989年、つまり今から30年前の平成元年のプロ野球。

 この年、両リーグの打撃タイトルは、ほぼ外国人選手が独占していた。セ・リーグの打点王のみ、中日の落合博満が獲得していたのだが、ホームラン王はセがヤクルトのラリー・パリッシュ、パが近鉄のラルフ・ブライアントが獲得。パの打点王はオリックスのブーマー・ウェルズで、ブーマーは首位打者にも輝いている。セの首位打者は巨人のウォーレン・クロマティで、最多安打のタイトルはそのクロマティとブーマーが獲得。さらに両リーグのMVPも、セがクロマティ、パがブライアントと、ともに外国人選手が選ばれていた。

 じつは平成元年の夏、こののちにこのシーズンの両リーグでのタイトルホルダーとなるクロマティ、パリッシュ、ブライアント、ブーマーの4人に、それぞれインタビューを敢行していた。まだ結末の見えていなかったシーズン中の話ではあるが、その当時の彼らの言葉をあらためてここに綴ってみたい。平成元年を沸かせた外国人選手たちの言葉は、令和元年の今、果たしてどんなふうに響くのだろう。

 1983年、阪急ブレーブスに入団したブーマーは、2年目の1984年、打率.355、ホームラン37本、130打点をマークし、外国人選手として初の三冠王となった。身長200センチ、体重100キロという巨漢で、しかも飛ばし屋のイメージがあったブーマーだが、メジャーでまったくといっていいほど結果を遺すことができなかった彼をブレーブスが獲得に踏み切った決め手は、長打力よりも三振の少なさだったのだとか。

 ちなみに”ブーマー”というのは登録名。グレッグ・ウェルズという本名が当時、同じくブレーブスに在籍していたバンプ・ウイルスと紛らわしかったという理由で、アメリカでのニックネーム、”ブームを作る男”という意味の”ブーマー”として登録されたのだという。

1984年に外国人選手初の三冠王に輝いたブーマー 阪急ブレーブスはいいチームだった。オリックスになっても、そのいい伝統は守りたいと思っている。ヤマダさん(山田久志)、フクモトさん(福本豊)が引退して、親会社も変わったけど、今のところ、ブレーブスは何も変わっていない。チームの絆は強いままだよ。