三冠王ブーマーが誇っていた選手の絆「スターがいるだけでは勝てない」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 ヤマダさんとは6年、一緒にプレーしたけど、私のことをよく理解してくれていた。調子が悪かったり、気持ちが落ち込んでいるとき、「おい、なんだかいつもと違うんじゃないか」と声を掛けてくれたりして、いつも気にかけてくれた。ピッチャーとしても素晴らしい技術の持ち主だし、守っていても投球間隔が短くてテンポがいい。とても守りやすくて、気持ちを打つほうに持っていけた。

 ヤマダさんだけじゃなく、チームのみんなと長い時間を一緒に過ごして、みんなの気持ちがわかるようになっていくと、まるで毛糸のマフラーのように、チームが編み込まれてできあがっていく感じがするんだ。ブレーブスはそうやって強くなったんだと思う。

 スーパースターがいるだけのチームが勝てないのは、絆が深くないからだ。野球のチームというのは工場のようなもので、みんながそれぞれの役割を果たすことが大事になる。そしてそのためには自分の役割を知るだけでなく、仲間がどんな役割を担っているのかを知ることも欠かせない。そうなればチームの絆は固く結ばれていくものなんだよ。

 プロ野球選手になるのは、子どもの頃からの夢だった。私が生まれ育ったアラバマ州からはたくさんのスーパースターが巣立っていった。ウイリー・メイズもその一人さ。シーズンオフになると、メイズや、ウイリー・マッコビーが地元へ野球教室に来てくれるんだ。もちろん、私も参加したよ。

 でも私はとくに目立つような子どもじゃなかったし、彼らもひとりひとりを指導するわけじゃないからね。メイズやマッコビーが実技を見せることで、子どもたちの野球への興味を引くことが目的だったんだと思う。

 実際、その時に教えてもらった技術は今でもためになっているからね。マッコビーに教えてもらったんだけど、一塁手としてこっち側でボールを捕ったときにはどっちの足を軸にして回るのかとか、一塁に戻るときの動きはこうだとか、そういうことはあの野球教室で学んだんだよ。

 メジャーリーグの試合をテレビで観るのは一番の楽しみだった。毎週土曜日は父と兄弟が揃うんだ。母が朝早く起きて、サンドウィッチとレモネードを用意してくれる。試合が始まると、母は買い物に出掛けるんだ。母は、私たちがテレビに釘付けになって、少なくとも2時間以上、絶対に動かないことを知っていたからね。サンドウィッチを食べながら試合を観て、終わる頃、母が買い物から帰ってくる。母にとっては家を脱出する、いい口実になっていたんじゃないかな。

 小さいときはボーイスカウトにも入っていたし、野球チームの遠征でよく旅をした。思えば両親は私に、できるだけ家を離れる機会をつくろうとしてくれていたのかもしれない。家のなかで成長するよりも、誰にも守ってもらえない家の外で成長したほうが、自分のためになるからね。

 私はプロ野球選手で、日本で三冠王も獲って、優勝も経験した。だからといって、鍛えることを疎(おろそ)かにしたら、すぐに若い選手にとって代わられてしまうと思っている。野球をやっていて、満足できる成績が残るシーズンなんて、そうそうあるものじゃない。いつも自分の体と心は鍛えようと思っていなければ、野球選手でいられない。

 野球選手であることをいつも意識して、野球選手として自分の持っている能力を常に発揮できるようにしておかなくちゃならない。私はずっと競争に参加していて、有利な位置にいたことはほとんどなかった。いつも次のステップに上がるために必死で練習して、ギリギリのところで生き残ってきたんだ。野球を仕事にし続けるには、それしかなかった。これからもそれは変わらない。

 そういう姿を、日本の子どもたちや、高校野球に打ち込んでいる高校生が見て、「ブーマーのマネをしたい」と思ってくれたらそれほど嬉しいことはない。そのために私は一生懸命、ゲームに臨んでいるつもりだし、子どもたちがプロ野球を観るだけで学んだり、盗み取ったりできることはものすごく多いと思う。

 私が、ウイリー・メイズやウイリー・マッコビーから学んだのと同じように、将来、「僕はブーマーから学んでプロ野球の選手になりました」と言ってくれる選手が出てくることを心から願っているんだよ。

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