2019.05.08

潮崎哲也が語った短期決戦の投手心理。
デストラーデ移籍は痛手だった

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(30)
【クローザー】西武・潮崎哲也 後編

潮崎、杉山、鹿取の「サンフレッチェ」はとても仲がよかった

――1992年の日本シリーズは第7戦までもつれ込み、結局、ライオンズが4勝3敗で日本一となりました。この結果をどのように受け止めていましたか?

潮崎 「ギリギリで勝ったな」という感じでした。余裕はまったくなかったですから。本当にちょっとした勝負のアヤ、ちょっとした力の差で勝てたというだけでした。「完璧にうちが勝った」とは胸を張って言えないし、よく似たチーム同士でいい戦いができたシリーズだと感じましたね。

1993年にリーグ4連覇を決めて喜ぶ潮崎(左)と清原和博(右)photo by Kyodo News

――翌1993年もスワローズとの日本シリーズとなりました。この年のライオンズは(オレステス・)デストラーデ選手がメジャーに復帰し、前年とはメンバーの顔ぶれも変わりました。

潮崎 ペナントレースのように、長いシーズンを戦うのであれば、デストラーデの移籍はそんなに痛手はなかったと思います。でも、日本シリーズのような短期決戦の場合は、投手にとってホームランバッターはとてもイヤなんです。短期決戦において、ホームランバッターのいないチームにはあまり気を遣わずに投げられるので、ピッチャーにとっては本当にラクなんです。

――確かに、スワローズ投手陣は「デストラーデがいなくなって、1993年は一気に気楽になった」という声が多かったです。

潮崎 そうでしょうね。ホームランバッターがいると、その前後の打者まで気を遣わなければならないので、ピッチングの幅も大きく変わってくるんです。

―― 一方で、この年からは杉山賢人さんがライオンズの投手陣に加わり、潮崎さん、鹿取義隆さん、そして杉山さんという3人のリリーフ陣、通称”サンフレッチェ”が台頭した年でもありますね。

潮崎 この3人は、それぞれが一匹狼でプレーするのではなく、本当に仲がよかったんです。僕と杉山は同じ年だったので、気心が知れていました。一方の鹿取さんはひと回り上の先輩でしたけど、僕にも杉山にもとてもよくしてくれたし、僕らも「鹿取信者」ですから、本当にいい関係でお互いを助け合っていました。

――1993年のペナントレースでは、潮崎さんは53試合に登板して防御率1.18というすばらしい成績でした。この年は絶好調だったのですか?

潮崎 実際のところ、この数字ほど調子がよかった印象はないですね。1993年に関しては(杉山)賢人におんぶに抱っこでしたし、森(祇晶)監督の起用が見事だったからだと思います。