2019.05.07

潮崎哲也が日本一を目前にまさか。
池山隆寛の一発に「慢心があった」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(29)
【クローザー】西武・潮崎哲也 前編

 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の15人目。

 第8回のテーマは「クローザー」。勝負を決する大事な場面に登場し、抑えて当然、打たれれば戦犯扱いという過酷な任務を託された男たち。まずは、西武・潮崎哲也のインタビューをお届けしよう。

代名詞のシンカーを武器に、中継ぎだけでなく先発としても活躍した潮崎 photo by Sankei Visual

似た者同士の両チームの激突

――1992年、そして翌1993年の日本シリーズについて、ライオンズ、スワローズのみなさんにお話を伺っています。

潮崎 2年連続でヤクルトと戦っているので、少し混同している部分もありますけど、あの当時のヤクルトには「若いチームだな」という印象があります。それと同時に、「うちと似ているチームだな」とも思っていました。

――当時のライオンズとスワローズ。どのあたりが「似ている」と感じたのですか?

潮崎 岡林(洋一)とか(川崎)憲次郎とか力のあるピッチャーが多く、打線も主力バッターがどっしり控えている。そして何よりも、お互いにキャッチャーがしっかりしていて、ピッチャーを助ける上手な組み立てをしていました。タイプ的には、本当によく似たチーム同士だと思っていましたね。

――確かに、ライオンズ・伊東勤、スワローズ・古田敦也両捕手はもちろん、森祇晶、野村克也両監督も含めて、「よく似たチームだ」と戦前から言われていましたね。さて、シリーズ前には、どのような「スワローズ対策」が練られていたのですか?

潮崎 マークしていたのは、池山(隆寛)さん、広澤(克実)さん、ハウエルと並ぶ主軸でした。ランナーを貯めて一発を打たれることが一番避けたいところでしたから。ただ、僕の場合はリリーフ投手だったので、相手打線をトータルに考えるのではなく、ただ目の前の打者を打ち取ることだけを考えていましたけど。

――結果的に1992年の日本シリーズでは5試合、翌1993年も5試合に登板しました。短期決戦においては、「スクランブル登板も辞さない」という意識で臨まれるのですか?

潮崎 あの当時はそうでしたね。休みなしでもいいから、「勝てるチャンスがあるのならば、すべて登板する」という心構えでいました。特にヤクルトとの日本シリーズは拮抗した試合が多かったですから、必然的に登板も増えていったけど、自分では何とも思っていませんでしたよ。この2年間は体調も万全でしたし、日本シリーズという非常に注目度の高い舞台だったので、自分自身も楽しみにしている部分もありました。