日本シリーズで代打サヨナラ満塁弾。ヤクルト杉浦亨はカチカチだった (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――打席を外して、いったんリセットするとか、頭を整理するという狙いですか?

杉浦 このときは、「このまま何も振らずに終わったら、みっともないな」と考えていました(笑)。そして、ジャイアンツ時代の鹿取くんのことを思い出したんです。鹿取くんの場合、テンポよくポンポンとストライクで追い込み、その後はストライクゾーンからボールになる球でセカンドゴロとか、ショートゴロに抑えられていました。そんなことを、打席を外したときに思い出しました。この時点ではツーナッシングなので、「まだ低めでの勝負はないだろう」と考え、高めのボールに気をつけて打席に入り直しました。

――そうして投じられた3球目は高めのストレートでした。

杉浦 鹿取くんは力んだのかな、真ん中高めの絶好球でしたね。気がついたときにはバットが出ていて、ボールはライトスタンドに消えていました。打った瞬間、「オレはなんてことをしたのだろう」という思いでしたね。セカンドを回る頃にジワジワ感激してきて、半分泣いていました。「こんなすごいことをしていいのかな?」って、首をかしげながら泣いていました。

1978年日本シリーズでも同様の場面が......

当時を振り返る杉浦氏 photo by Hasegawa Shoichi当時を振り返る杉浦氏 photo by Hasegawa Shoichi――実は1978年、スワローズ初優勝のときの日本シリーズ初戦でも、この1992年と似通った場面がありましたね。相手は、当時黄金時代を築いていた阪急ブレーブスの大エース・山田久志投手でした。

杉浦 そうなんです。のちに僕もそのことに気づいたんですけど、あのときも初戦の9回裏(二死満塁)でした。阪急の投手は山田さんで、カウントはツースリーが続いて、何とかファールで粘りました。途中にはライトポール際の大ファールも打ちました。それでも、山田さんは逃げずに真っ直ぐを投げ続け、僕はファールで粘る。その繰り返しでした。

――そして、投じられた11球目。杉浦さんの打球は(ボビー・)マルカーノへのファールフライ(二邪飛)となり、ゲームセット。スワローズは初戦を落としました。

杉浦 そうなんですよ。あのときは「ストレートがくる」とわかっていても、打ち返すことができなかった。でも、1992年のシリーズではきちんと鹿取くんの球を弾き返すことができました。「なんでオレって、こういう巡り合わせなんだろう?」と思いましたね。

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